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「じゃ、座ってて」
お湯を沸かしている間、兄はちょっとそわそわして、リビングを見回したりして、まるで赤の他人のようだった。
「仕事、どうなの」
「どうって、ふつーだよふつー。あんま外でないし、事務は終わらないし、叱られることも多いけど」
「お兄ちゃん、肝心なこと忘れることあるもんね」
「あ、なんだよそれ、これでもな、休みの日に親父のトコ行って――」
話に適当に相槌しながら、離れてから時折電話では聞いていたこの声が、本当に同じものなのかと不思議に思う。
やかんの口から出始めた湯気の音にかき消されることもなく、重みを持ったお兄ちゃんの言葉には息遣いすら感じさせるようだった。
「あー、砂糖入れてくれ、二杯」
「分かってる」
ありがとう、なんて照れながら言うのに思わず笑うと、それを隠すようにいそいそと、お兄ちゃんは荷物の中から箱を取り出す。
包み紙がすっかり剥ぎ取られてそれが丸裸になる間に、私の方は準備ができてしまって隣に座って、2つのカップからゆらゆら湯気が出るのをぼんやりと見ていた。
「はい、一個」
「……シュークリーム」
「そ、親父の知り合いがお店やってて、母さん好きだったよね」
「あー、そういえば」
刷毛で色をちょっと塗ったような茶色の部分をかじると、思ったよりも多く中身が出てきて、こぼしそうになる。
「美味しい……」
「だろ? これ親父も好きでさ、行くと毎回出してくるんだよね」
自分が褒められたように喜ぶ兄を見たのは初めてな気がした。だから私は今にしか聞けないと思って、電話越しにできなかった質問を口に出していた。
「お父さん、まだあのアパートにいるの?」
「そりゃそうだろ、今の職場にも近いし……引っ越す理由もない」
「ふーん……」
「なに、今度の休みにでも行く? 付き合うけど」
「いやいやっ、それは、行かないけどっ」
いかないのかよ、なんて兄の失笑が耳に残った。思わず、を許した自分を後悔した。けれど本当に、どういう顔をして会ったら良いか今更分からないし、三年の月日はそれだけ、お父さんを私から遠ざけていた。何より――
「――親父、こんどテレビに出るって知ってたか」
「――え?」
「といっても何か壇上でガヤガヤやってるだけらしいけど、ネットで生放送もやるって」
「な、え、どうして?」
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