第三話 取引は天秤により

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 彼は自ら「もうたくさんだ! もう見たくない! うんざりなんだよ!」と叫んで取り乱し、椅子を倒し、書類を宙に撒き散らし、慌ててオフィスから逃げるように出る。  彼の目の前に突如現れたもう一人の私は、一糸纏わぬ裸体のまま、滑稽そうに微笑みながらゆっくりと歩いて彼の後を追った。  逃げ惑う彼がエレベーターのボタンを連打して扉を開けるが………  扉が開いたその先に、胎児化した私の分身が無数にぎっしりと詰まっており、雪崩れのように溢れてくる。  冷静さを完全に失った彼は腰を抜かし、号泣しながら脚をもつらせ、今度は非常階段へ。  非常階段では、下の階から胎児化した私の分身がまるで洪水のように迫っており、彼はやむを得ず上の階へ駆け上がる。  無数の分身は、痛みを伴う悲痛な赤子の喚き声をあげながら、芋虫のようにうねる動作で素早く移動し、彼の背中目前まで迫った。  2、3体ほど彼の身体に取り付くが、彼は屋上の扉を開けて赤子を取り払う。  しかし彼の目の前に待っていたのは、見上げれば月明かりも無い新月の暗闇と、眼下は足元に広がる摩天楼、あと数センチ先にはビルの縁。  あと一歩踏み外せば、奈落の底へまっ逆さまだ。  
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