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「……なあ。おまえ小学生の時に、古時計の歌って習わなかったか?」
時計の針の音だけが静かに響く中、部屋の隅の椅子に座って新聞を読んでいたフジさんが、突然そんな事を言ってきた。
わたしはそれを無視し、数日前に客から預かったアンティーク置き時計の修理を続けていたのだけれど、「おい、聞いてんのかよ沙那(さな)」と名指ししてくるので、仕方なく持っていたピンセットを机の上に置く。
わたしは思い切り眉を寄せ、フジさんを睨んだ。
――本名、山岡不二夫。62歳。
彼はよく『俺は富士山のような偉大な男だから、おまえも俺の事はフジさんと呼べ!』と嘯いたが、なるほどその身体の大きさと態度の大きさは富士山級だ。
「……で、なんですかフジさん。
わたし、今時計の修理してて忙しいんですけど。見えません?」
「別に急ぎの修理でもねえんだろ? ならいいじゃねえか、手ぇ止めたって。
退屈しているオッサンの話を少し聞いてくれても、罰は当たらんぜ」
「退屈なら、この前横山さんから注文受けたリングの石留めでもやっといてくださいよ。
わたしの邪魔しないでください」
しかし、フジさんは話をやめようとはせず、「なあ、あの時計の歌、最後はどうなったんだっけ。さっきから思い出そうとしてんだけど、歌詞が出て来ねえんだよ」――などと、ぶつぶつ言っている。
いい加減相手をするのが面倒になり、ピンセットの尖った方をフジさんに向ける。
そこでようやく、「怒んなよ。怖えよ。もういいよ」と、新聞を折りたたんで奥の部屋へと戻っていった。
ため息を吐く。
貴金属の売買や修理全般を行うこの小さな店にわたしが勤め始めてからもう数年が経つけれど、その貴金属の扱いはともかく、店主であるフジさんには、まだどうも馴れる事が出来ない。
腕は確かだし、なんでも丁寧に教えてくれるし、悪い人ではない……むしろいい人なのだけれど、こちらが真剣に作業していても平気でちょっかいをかけてくるので、時折本気でイラッとするのだ。
本人曰く「俺には3人セガレがいるんだけどよ、ホントは娘が欲しかったんだよ。おまえ見てると、娘が出来たみたいで嬉しいんだよな」との事だが、わたしの知った事ではない。
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