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店の奥、部屋に戻ると、すでに裏口に届けられていたのだろう、フジさんは出前の天ぷらそばを、ずるずると音を立ててすすっている。
目の前にそそくさ座ると、フジさんは、ちら、とわたしの事を見てきた。
「お母ちゃんか」
「……。はい。すみません、店内で」
「そば、のびちまうから、さっさと食え」
「はい。いただきます」
割り箸を割って、そばを静かにすする。
時計の音が聴こえる。
わたしはふと箸を止めて、フジさんの顔を見た。
「……フジさん。
わたしがどうして、ここで働いているか知ってますか」
「俺の事を、お父ちゃんのように慕ってるからだろ」
「給料がいいからですよ。あと賞与も」
――けど、おかげさまで、時計の修理も出来るようになりました。
わたしはそう言って、先ほど母から預かった腕時計を、テーブルの上に置いた。
フジさんは、ん? という顔をして、それを手に取る。
目を大きくしたり、細くしたりして、じっくりとそれを眺めていた。
「……子どもがつける、量産モノの時計か。電池で動くやつだな」
そういや、俺のセガレにも似たような時計を買ってやったな、とうなずいているフジさんに、わたしは、「直せますかね」と言ってみた。
その言葉に、フジさんは眉間にしわをつくる。なすの天ぷらに噛みついた。
「……おめえ、誰にモノ言ってんだよ。直せるに決まってんだろ。
これだけ壊れてても使える部品はいくつも残ってるし、あとは俺の職人技で」
「……いえ。フジさんには、それは直せるでしょうけど」
これは、わたしひとりで直したいんです、と続ける。
そうして、一通りの事情を説明した。
この時計は、兄の時計だ。
けれどこれは、『母の時計』でもある。
母の時は、母の時計は、兄が死んだあの日から、ずっと止まったままなのだ。
そして、その母が、この時計を、『修理に出した』のだ。
自分の、意志で。
この時計が再び時を刻み始めれば――母の時間もまた、きっと動き出す。
そう思った。
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