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目の前で、母がしきりに手を動かし、服の中、スカートの中、下着の中、その他いろいろなところに手を突っ込んでいる。
まるで、何かを捜しているかのように。
「良子さんっ……!」その内母が身体中をひっかき回し始めたので、佐伯さんが大きな声を上げた。
それでも、母はそれをやめようとしない。
すると……服の袖から、ぼとっと、何かが落ちた。
母は床に落ちたそれを拾い、わたしに手渡してくる。
それを見て――わたしは、まるで頭を殴られたような、そんな衝撃を受けた。
母は、泣きながら、言った。
「……この腕時計……わたしが、昔、息子に買ってあげた、腕時計、なんです……」
当時流行っていた、ゲームのキャラクターがプリントされた腕時計だった。
風防のプラスチックにはヒビが入り、針は取れ、バックルはぐにゃりと歪んでいる。
この時計を兄がしていたという記憶はないけれど、事故が起きたあの日、兄がこの時計をしていたという事は、時計の状態を見れば容易に想像する事が出来た。
そのまま……母は、こんな事を言った。
「息子は、とても時間にルーズで……友達と毎日のように遊ぶ約束をしていたんですけれど……いつも帰る時間が遅くて……」
母はそこまで言ったところで、 嘔吐き、もうそれ以上の言葉は出て来なかった。
そのまま、手に握っているその腕時計を、見る。
――ああ、と思った。
母の『時計』がここまで狂ってしまった理由が、ようやく、分かった気がした。
「…………」
この、時計だ。
これは、母が兄に買ってあげた時計だ。
時間にルーズだった兄に、『ちゃんと時間を守るように』と。
そして兄は、『あの日』、この時計をつけて遊びに行き、『時間を守って』家に帰る途中、事故にあった。
つまり――母がこの時計を兄に渡していなければ、帰る時間は ずれて、事故に遭わなかったかもしれない。
母は、多分その事を、ずっと悔いていたのだ――
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