雨男の唄

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そんな彼女が、眼鏡を直しつつ俺を見上げて放った言葉は今でも忘れられないのだ。 「傘梨君の小説って、抒情的だよね。雨の良さがよくわかってる。風情とか、それを受けて思う気持ちとか」 「ま、嫌っていう程味わってきましたからね」 「なんていうか、感性が女子以上に女子っぽい気がする。繊細だよね」 「…女々しいって言いたいんすか」 晴哉はがっくりと肩を落とす。違うよ、と部長は原稿用紙の束を机の天板の上で整えつつ言った。 「それだけの感性を培えたのも、君がしょっちゅう口にしてる雨男体質のおかげなのだとしたら、捨てた物じゃないんじゃないかなって思っただけ。雨の表現がこれだけ多いのは、世界広しといえども日本くらいだからね。その『雨の美学』とも呼べる精神を引く傘梨君は、まごう事なき文学青年だよ」 「…部長って時々哲学的なこと言いますよね。わかるようなわからないような」 とにかく非難している訳ではないという事がわかったが、ひとまず晴哉は口ごもるようにそう呟くしかできなかったのだった。そして次にかけられた言葉に、晴哉の心は不覚にも跳ね上がるのだった。 「…傘梨君の文章、特に雨を語る文章は、その感覚や気持ちを読者に移入させやすい力がある。いつか、雨の良さをわかってくれる人と出会えたらいいね」 「部長…?」 妙に大人っぽいその言葉に、何故か純朴な彼は胸の高鳴りを覚えたのだった。 「ま、私は晴れてる方が好きだけど。木漏れ日の中の読書ほどの贅沢はこの世にないから」 「最後の最後でぶち壊しっすね…」 この美人でカリスマ性があるのは事実だが、食えない性格は少し苦手だった。俺はまたしてもしおらしく肩を竦めるしかなかったのであった。 ~*~ 高校卒業後、未だ桜も咲き誇らない時期に晴哉は地元を離れ、東京の大学に進学した。一度何も知らない場所で、自分らしさを探しつつ生きてみたいと思ったのだ。例に倣って、上京初日は大寒波が押し寄せて路面が凍結しダイヤが乱れるなどといった不運にも見舞われたが、それもさほど気にせず初めての仮住まいへと足を運んだ。雨男の自分を知らない未知の都市で、レッテルやジンクスも気にせず、色々な人に出会い、生きてみる。そんな青空のように自由ですがすがしい生活を考えるだけで、頬を刺す雪の冷たさも気にせずいられそうだった。
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