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俺の脳内に昨晩のやり取りが思い起こされる。
―――――――――――――――――――――
「……ただいま。」
「え、あぁ、うん……おかえり。」
「…………。」
「…………。」
互いに挨拶を交わしたものの、それきり言葉を発する事がなく微妙に気まずい空気が狭い空間に充満していく。俺も言いたい事があるのだが、どう言葉にしていいか解らなかった。彼女が先に帰宅していた事に対しても「帰ってたのか?」と一言言えば良いだけにも関わらず、それをそのまま口にしていいのか、それとも敬語にすればいいのかが解らなかった。そのお陰で俺は帰宅早々、玄関に突っ立てしまう事になる。
「……とりあえず、こっち来て座ったら?どうですか?」
言葉を選んでいるのだろうか。歯切れのよくない物言いだ。とりあえず俺はゆっくりと靴を脱ぐと、部屋の奥へと移動を開始する。
「別に俺に対して話す時は敬語じゃなくていいっすよ……。」
溜め息混じりに言いながら、俺は机を挟んで彼女の正面へと座った。
「……じゃあ、貴方も敬語を止めて。」
「それは無理っすよ。俺は、俺達は昔からこうだったじゃないですか。」
「……『こう』では無かったよね。」
俺の発言に対し、彼女はどこか寂しそうに言った。それは呟きの様な小さな物であったが、冷たいナイフの刃のように変化し俺の心に突き刺さった。
彼女は俺の上司だったから、彼女に対し敬語で話すのが常だった。だが、彼女の言うとおり俺達の関係はこんなに気まずくは無かった。昔は単純な上司と部下であったし、恋仲となってからも意見の食い違いで喧嘩にはなったりした事はあったものの、良好な関係は続いていた。だが今はどうだろうか。俺はこの気まずさに耐えられなくて、逃げるように寝室の障子を開いた。
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