第1章

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 はかりの上に載ったラットは、意外に高所恐怖症だ。下を見ては怖がり、横を向いては怖がり、ヒクヒク鼻を鳴らす。  まるで私のよう。 「お前がなにを考えているか、解らないんだ。そう思ったら、自分がお前を好きだとは思えなくなった」  4年付き合った健二が、少し秋めいてきた夜風の中で私に告げたのは昨日の事だった。  公園の中に立った街灯が、健二のネクタイを照らしている。あのネクタイをあげたのは、二年前の誕生日だったっけ。  幾何学模様をみながら、ぼんやりと私は別れの言葉を受けとめた。  なんて、何という男だろう。  別れようと思っているのならば、何故そのネクタイをしてくるのだろう?  全てを断ち切るために、奈落の底に突き落としてやりたいと思ってるのならば、確かに効果的だった。  いや、健二はそんなこと考えていないのだ。  彼はデートのある日には、決まった儀式のように私のネクタイを身に着ける。  学生服が決まっていたように、私のデートも決まった行いがあるのだ。多分、イスラム教がメッカに祈りを捧げるように、私の贈ったネクタイを身につけて私への忠誠を示すのだ。 「ミギャッ」  量りの上から攫われたラットは、突然の蛮行に声をあげて落とされたおがくずの中に、深く潜り込んだ。  新薬モデルのラットは、水の中に含まれている薬液を毎日飲む。遺伝子に刻まれている病の発生リズムは絶対だ。  必ず、その病になる。必ず、5週目に彼等はその病にかかるのだ。  それをどれだけ遅らせることが出来るのか、薬を飲ませてテストする。現在3週目のラットの体重を毎日記録し、減った水分量をチェックする。  発症していないか、確かめるのだ。見えない病原があるかないか。  私は毎日の行いのように、それを続ける。  健二も、毎日の行いのように私に会う時はネクタイを身に着けていたのだろう。身に着けたいからつけたかったわけじゃない。  刷り込まれた儀式のように、単にそうしなければならないからそうしていたのだ。  だから、ふと朝に気付いてしまったのだろう。  なぜこのネクタイを、自分は絞めていくのかと。  その彼の、目が覚めたような表情を公園の街灯の下で見たとき、私は何も言えなくなった。一つ頷くだけで、精一杯だった。
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