3人が本棚に入れています
本棚に追加
あ~と彼は黒目で天をあおぎ、
「行こうと思ってたところは肉料理なんで。治療したばかりの歯じゃ、ちょっとキツいでしょ。だから、食べやすいものがある別のところに行きましょう。せっかくなら、満足してもらいたいんでね」
それから、わたしか昨日に気に入った少しだけ高圧的な笑顔で微笑んだ。
「あ、こんな気づかい上手なとこ見せたら、オレに惚れちゃいますね。まぁ、それもいいでしょう。言っておきますが、オレとの結婚生活は頬骨が痛くなるくらい笑いの連続ですよ。覚悟してください」
わたしは一瞬目をしぱしぱさせて。
そしてすぐ、噴き出した。
変わらないあつかましさが嬉しくて、涙が出る。
豪快に歯をむき出しても、マスクをしているおかげでぜんぜん気にならない。
「よかった」
目を細めて彼が言った。
「あと数秒遅かったら、マスクをされちゃうところだった。風邪引いちゃったのかと勘違いしたままだったら、心配で今夜眠れないところでした」
そんな彼の言葉を聞きながら、ふるふると再び震える唇と心を、白い四角の綿の生地でわたしは隠す。
どんなに断崖絶壁に追いやられていたとしても、昨日会ったばかりの人だとしても、この人との約束をすっぽかす気だけは最初から頭になかった。
だって、会いたかったから。
最初のコメントを投稿しよう!