現代と違うのだから

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だいたい罪人の首を打つのは、町奉行所の番方同心のなかの新参者と決まっていた。浅右衛門は将軍佩刀の様斬りを務めた浪人で代々襲名するのだが首打役を頼まれ引き受けも多かったという。 つまり新参物では、うまく介錯出来なかったとみえる。 当たり前の話だね。なんでも最初はうまくいかないもんだ 初代は元禄~ 牢屋敷以外で刑を執行する場所を刑場と呼び、小塚原(荒川区南千住) 間口60間余り(約108m) 奥行き30間余り(約54m) 地下鉄日比谷線南千住駅そば 鈴ヶ森(品川区南大井)慶安四年(1651)開設 間口40間(74m) 奥行き9間(16.2m) 京浜急行、大森海岸駅北400m第一京浜国道わき 各地にもあるから調べられると出てきますよ。
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