解説とあとがき

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この立ち位置を我々人類に置き換えてみましょう。 我々人類も、過去何度も「植民」と称して、未開の地の開拓を進めてきました。そこにある自然、そして生物を犠牲にして。 今もなお、山を開き、住宅地の建設が進められている地区もあります。海もしかり。東京湾の埋め立てにしろ、海の中の生物には少なからず犠牲がでています。 科学者が研究を進めている“火星”への移住計画。 これもまた、火星の大気の多くを占めている二酸化炭素を酸素へと変換してしまうわけですから、現存している生物(存在するとすれば)や、これから進化の末に現れるかもしれない、二酸化炭素を糧にした生命の可能性を、人類のエゴによりつぶしてしまう事となります。 まあ、状況次第では『必要悪』が『正義』であることもしばしばあります。 それでも「しかたのないこと」なのでしょうけれども、いざその時が来たときには「犠牲となるものがある」という事は意識したほうがいいのかもしれませんね。 正当な『必要悪』も『悪』には変わりないのだから。 本作のエンディングの後、僕はケビンが『レックスシンク』なる思想を立ち上げる姿を想像しています。 将来…何世代後かはわかりませんが、“種の絶滅の危機”が訪れた際、“種を存続”させるのが正しいのか“自然理の絶滅”を受け入れるのが正しいのか。 おそらく、どちらも正しく、どちらも間違っています。 でも少なくとも、『シンク』つまり『考える』事は大事なのではないでしょうか。 僕ら人類も、まだ先の世代と、意識する事すら難しいカテゴリの事象ではありますが、一度は思いを馳せるべきかもしれません。 僕も、目の前の生活に追われ、そんな暇はない、ってのが正直なところですが、ちと考えてみることにします。
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