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おなかの大きな妊婦が行き交う待合室で、肩身の狭い思いをしているように俯く地味子が可哀想だった。
「ミナト? 何、言ってるの?」
顔を上げた地味子の目がビックリしたように見開かれている。
「子どもが欲しいんだろ? 大丈夫だよ。今晩からまた頑張れば」
「妊娠していなかったんだから、もう離れて行っていいんだよ?」
地味子の目に涙が滲んで、本心からの言葉じゃないと教えてくれる。
「熱海の晩は不発だったけど、避妊しなければ、そのうち出来るよ。妊娠していようがいまいが俺はおまえを離さない。もう」
「なんで?」
ついに地味子の目から涙が零れた。
「おまえを愛してるから」
きれいな雫を指で拭ってやる。
「嘘! ミナトが愛してるのはリンでしょ⁉」
「おまえがリンなんだろ?」
「気づいていたの?」
震える手を握ってやる。大丈夫。もう大丈夫。
俺は自分自身にも言い聞かせていた。
「どうして、リンだって名乗らなかったんだよ」
熱海で会った時にそう言ってくれたら、こんな回り道をすることはなかった。
「突然いなくなって、裏切られたって恨まれているかと思ったから」
「恨んでなんかいないよ。ずっと忘れられなかった」
「うん。それはあの晩、リンって呼んでくれてわかった」
だから、あの時あんなに嬉しそうな顔をしたのか。
「私もずっとミナトを忘れられなかった。だから、熱海の温泉街で見かけた時、すぐにミナトだとわかったよ」
「俺は全然わからなかった。女は凄いな。化粧一つでまるで別人だ」
「昔は背伸びしてケバい化粧をしていたからね」
確かに補導されないようにわざと派手な化粧をしていたっけ。
「私ね、15の時に赤ちゃんが出来たの。ミナトの赤ちゃん」
「え⁉」
「私、どうしても産みたくて。でも、どうすればいいかわからなくて、お母さんに電話しちゃったの」
俺は何も言えずにリンカを見つめた。
「そしたら、産みなさいって。一緒に育てようって言ってくれたの。だから、家に帰った。ミナトに赤ちゃんのこと話そうとしたけど、ミナトがどう思うか怖くて結局言えなかった。ごめんなさい」
15歳の俺がどう思って、どうしたか。
きっと赤ん坊にとって、いい家庭は作れなかっただろう。
あの頃の俺はまるっきり子どもだったから。
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