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生田紗代「まぼろし」(二〇〇五年七月二十日)新潮社
「十八階ビジョン(『新潮』二〇〇四年十二月号)
僅か三ヶ月で会社を辞めてしまった語り手が帰ってきた実家は二十三階建てマンションの十八階。
共働きの両親は念願叶って四泊五日の中国旅行に出かけている。
だから暫くは高校三年生の妹と二人暮し。
何をするわけでもなく、会社の元同僚に呼ばれて会いに行ったり、最初は退職を詰られたが縒りを戻した大学時代の友人と逢ったり、停電に遭ったりしながら、日々が疎く流れていく。
会社を辞めた動機ともいえない動機は詰まるところ自分自身かもしくはその居場所が見つけられないための焦燥感なのだが、この作者の場合はジリジリとその思いを噛み締めるでもなく、また逆に突き抜けてしまうでもなく、ユルユルと浸かるような淡い自己肯定(ただし作者自身のではなく、それによって癒される読者のための)であることが特徴なのかもしれない。
「まぼろし」『新潮』二〇〇五年六月号
語り手が高校三年の時に両親が離婚して母が家を離れて行く。
母は父に不満がある。
いや、本当はこんなところにいるはずではない自分に不満がある。
そして――言葉として現れる――父への不満はすべて娘である語り手に向けられる。
母が父にそれを伝えないで済むように。
その母が八年ぶりに既に語り手と兄が去った実家に戻って来ることになりそうだ。
父は母を赦したが、同居して良いか、子供たちの意見を聞きたいと云う。
それはずるいと語り手は思う。
それは責任転嫁だ、と。
途中に挟まれる会社の後輩や恋人との遣り取りはユルイ中にも語り手の決意もしくは諦めのような心境を垣間見せて興味深い。
愛しているから怖くても傍にいる。
大好きだから自分から愚痴を聞いたのだ。
かつてあった具体的状況は何一つ変わるはずもないが、母の心情がわかる自分がいることを知って語り手にとってのあのときの状況が幻のように揺らいでゆく。
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