1 狂気

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用件は済んだので、さっさとこの場を後にしようと、哲郎はトモキに背中を向けた。 こんなやつ、係わり合いにならずに済むなら、それに越したことは無い。 ――ヒュッ 風が唸り、哲郎は直感に従って首を傾げた。顎と肩の間をトモキが繰り出した拳が通過していく。 ステップを踏んで距離を取り、哲郎はトモキに向き直った。 「おい」 確実にかわしたはずだが、風圧だけで顎の先が焦げそうなパンチだ。 背中の汗が冷たいものに変わる。 トモキは自分の拳を胸の前で硬く握っていた。 「おまえ強ぇだろう。おれとやろうぜ。なっ!」 なんだか遊びにでも誘うようだ。 やはりこいつは、稀代のケンカ好きらしい。 「……断る」 哲郎は小さくだがきっぱりと言って、さっき心で唱えた獣の対処法に従いながら、また少し距離を取った。 足はトモキの方が速そうだから、あそことあそこの障害物を使って……。頭の中でいく通りかの逃走経路を思い描く。 「逃がさねーよ」 するどく察したトモキは哲郎の前に立ちふさがった。 確かにそうされると、無駄に体がでかい分、邪魔になることこのうえない。 仕方ないと哲郎は息をつき、トモキに習って拳を握った。 トモキの瞳がうれしそうに、それでも凶暴な色に輝きだす。 哲郎がその眼をめがけて拳を振りあげると、トモキは、哲郎の拳を頭突きで迎え撃たんと強く踏み出してきた。 そこを哲郎は、すばやく身を沈めて握った拳を解いて支点とする。トモキの腿を蟹バサミで挟むと足をひねって背中から転がした。 したたかに後ろ手をつかされて、 「おまっ、何する……」 文句を言いかけたトモキは、口の中に入り込んだ砂をペッペッと吐いた。 もちろん目潰し代わりに、ついでに投げたのも哲郎だ。 哲郎はトモキが立ち上がる前に、さっさと体勢を立て直し、逃げ出しにかかっている。 「悪いな。勝てないケンカはしない主義なんだ」
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