第1章 愛しい、ひげ

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俺も純も地元民だ。 でも、もう自活している。 高卒ですぐに社会人。 もう二年前の入社式の時にスーツをリクルート用のだけど買っておいたから、今日はそれを着ただけ。 少し面白みゼロのスーツだけど、成人式のためだけにこの後使うことのないようなスーツなんて必要ないだろ。 歩いて三十分ほどの所に住んでいる親にもそう話した。 「すみませーん! って、聞こえねぇよな」 ちょうどいい。 トイレに立ち上がったついでに酒を注文してこようと思ったら、俺を見つけた目ざとい奴らが、すでに酔っ払って、頭をフラフラ揺らしつつ、次から次に飲みたいものを注文してくる。 おい、自分たちで行けよ! って、怒鳴ったところで、立ち上がっているのを大宴会場の離れた席にいる奴らにも見つかって、追加注文しなくちゃいけない酒が増えるだけだった。 「ったく、マジかよっ。つか、ちゃんと店員も仕事しろよな」 今日は成人式だからあっちこっちで二十歳を迎えた奴らが宴会をしていた。 駅前のこの店も大繁盛で、しかも二十歳の奴らがほぼだから、なんか騒々しさがすげぇ。 俺がいつも職場の先輩に連れられて来ている居酒屋よりもカオスって感じがする。 わざわざ厨房まで行って、上の宴会場で飲んでいるんだけどって、メモまでした酒のオーダーを見せると申し訳なさそうに店員が受け取り「ただいま!」と叫ぶ。 まさにてんてこまい。 「あー、今日はすげぇ繁盛してんなぁ、こりゃ、ここもダメか」 注文伝達係、完了。 俺はトイレに、そう思って振り返ったら、いきなり、ガラガラって音がして、すげぇ冷たい外の空気と一緒に流れ込んできた男の人の声。 優しい声がふわりと耳に入ってきた。低くて、少しぶっきらぼうだけど、じんわりする温かい声。 「あ……え?」 頭の中が真っ白になった。 「岳、先生」 短髪とまではいかない髪はあんまりビシッと決めてなくて、っていうか、どっか雑然としているのに そのルーズな感じがくしゃっと笑う表情にすごく似合っている。 今、名前を呼ばれて、こっちを見て目を丸くしている人を 俺は 知っている。 岳先生、だ。 「?」 ウソ、だろ? 岳先生。 なんで? どうしてここに? つうか、何? なんで、ヒゲ生えてんの?
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