第1章 愛しい、ひげ

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保育園の年長、サクラ組の時の担任が、岳先生だった。 俺は岳先生が好きだった。 あの頃からずっと、十五年間ずっと、あの人のことが何より一番好きだった。 俺の初恋。 岳先生は保育園で唯一、男の保育士で、でかい身体に太陽みたいに笑う、すげぇ大人気の先生だった。 力持ちで、皆が岳先生の腕にぶら下がろうといつでも群がっていた。 ぎっしり子どもをぶら下げて、何か叫んだり大笑いしながら、グルグル回ってくれる。 それをするといつでもどこでもはしゃいだ声がパッと上がる。 明るくて楽しくて、強くてかっこいい、俺のヒーロー。 「もしかして、勇人か?」 「!」 覚えていてくれた。 マジで? すっげぇ、嬉しいんだけど。 「一瞬わかんなかったぜ。中学の制服を見せに来てくれた時に比べて大人になったなぁ。あー……あ? もしかして、お前、今年が成人式? 俺が二十五の時にお前を担任したから」 俺のこと覚えていてくれたんだ。二十五歳だったんだ。あの時の岳先生って。 「俺が、今、四十だから……だよな。お前は今年二十歳か」 視線を上に泳がせて、歳から計算している岳先生の顎ばっか見ていた。 だってヒゲが生えてる。 本人も気になるのか、ちょびちょび生えた無精髭を指で撫でていて、その指先にさえドキドキしている。 心臓が破裂しそうで、どうしよう、言葉が出てこない。 「そりゃ、俺もおっさんになるよなぁ」 少し高いところからから降ってくる岳先生の声に酔っ払いそうだ。 ふわふわして、足が浮いてるみたい。 先生の腕に掴まってグルグル回してもらっていた時と似ている。 回転してる 浮いてる 先生の腕に掴まってる もう何もかもが楽しくてドキドキして そのドキドキの鼓動がいつしか恋心に、好き、に変わった。 「なんだ? 飲んでたのか? ハメ外しすぎるなよー。つか、勇人が酒を飲める年頃になったとはなぁ」 そして、その好きをしっかり自覚したのが、中学の入学式の時、保育園にあるでかい桜の樹がすげぇ満開で綺麗だった。
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