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ヒュゥ……と五月にしては冷たい夜風が吹き抜ける。時刻は午前二時前。煌々と外灯が灯るだだっ広いパーキングには、車が一台も停まっていなかった――?
「――ああっ! 待て、待て翔子!」
その事に気付いた時にはもう遅し。……春樹の車は山頂だ。
「くそっ、携帯、車だし……って、俺、翔子の番号知らねーしっ!」
もう踏んだり蹴ったりである。こんな時間から登山するゆとりは無いので、結局春樹はパーキングの入り口のところにある公衆電話からタクシーを呼び、ブツクサと文句を言いながらロードスターを取りに行くのだった。
ところで――
翔子はまだ気付いていない。先ほどのダウンヒルで見せた春樹の驚愕のテクニックを。それは、ここのところ春樹が『新技』の開発と称して取り組んでいるものだった。それは即ち――
『左足ブレーキでのドリフト中のラインチェンジ』だ。
ラインチェンジ――読んで字の如く、進入時に決まるドリフトのラインを通るのではなく、ドリフトの途中で強引にイン側に切り込む様にラインを変更させるのだ。――左足ブレーキを多用して。
これは誤ってオーバースピードでコーナーに突っ込んだ場合でも、出口でアンダーを出さずに何事も無かったかの様にコンパクトに脱出できる、言わば反則に近い必殺技だ。もちろん成功すればだが。
今のところの成功率は八割。……なお先ほど高速クランクで試みたが失敗に終わっている。翔子がこの事を指摘してくれば説明するつもりだったが、何も言われなかったので黙っていた。正直なところライバルになりうる奴にこの技を教えたくないのだ。
だが、結果的に翔子はライバルではなく、むしろパートナーになろうとしている。
いずれ春樹は思い知る。
――翔子に隠し事はできない事を。
だがそれはもう少しだけ後の事。
翔子の偉大さを、翔子の大切さを、翔子の……すべてを。
翔子の存在が春樹の半分を、いやそれ以上を占めるまでにはまだ少し時間が掛かるのだった。
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