193人が本棚に入れています
本棚に追加
「あのバイク、英二さんのだよな?」
二階から両手一杯に荷物を抱えて下りて来た翔子に聞いてみる。だがよく聞こえなかったのか「えっ何っ?」と返事が返って来た。
「だから、バイク、英二さんのだよな!」
「そうよ。……よく覚えてたわね」
今度は聞き取れたのか、そう答えながらむき出しのレーシングスーツやヘルメットの入ったバッグやらをドサリと地面に放ると、翔子はインプレッサの後部ドアを開けた。――今度はそれを放り込む。
「ちょっと手伝ってよ! アンタが今日着るレーシングスーツとヘルメットなのよ!」
何で私だけがんばってるのよ! ……と文句を言いながらどんどん投げ込んだ。――もう雑の一言である。
「わかったよ、手伝えばいいんだろ!」
と春樹も手伝いに行くが、残っているのは地面に散らばっているドライビングシューズだけだった。
「……悪いな、全部用意してもらっちゃって」
「いいのよこれくらい。……それより、今日のダートトライアルでちゃんと結果出してよっ、いいっ?」
ああ……春樹はうなずく事しかできなかった。
今日これから向かうダートコースは、正式には『アイザワ・オートランド』というモータースポーツ専用の施設の中にある。
ここはその名の通り、相沢コンツェルンのレーシングコマーシャル部門のマニュファクチャが、主にマシンの開発時にテストコースとして使用する場所だ。他にもレーシングスクールや一般開放日を設けてレースを行う事もあり、一年中どこかしらのコースでエキゾーストノートを聞く事ができた。
林間を走る美しいサーキット(テストコースが主な用途のため決して規模は大きく無いが)に、カート専用のサーキット、それにバイクと車に分かれたジムカーナの会場に、更にモトクロス用のダートコースや本命の――ラリーカーを仕上げるためのダートトライアルコースがある。
そのダートコースに誘われた数日後、「四輪用のヘルメットを持っていない」と話す春樹に、翔子が「一式全部用意する」と答えたのだ。そしていつだったか誰もいなくなった放課後の教室で、メジャーを手にした翔子のいい加減な採寸を経て、春樹専用の『一式』が揃うのである。
翔子はふと気づく。あれ、これって兄のサイズとほぼ一緒だ――
ふいに兄の面影が浮かぶと、記憶に引きずられるようにして母を思い出した。
最初のコメントを投稿しよう!