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一
ぬばたまの闇にとまどう蛍火の
枕の夢に留(と)まりぬるかな
プク プク プク プク プク プク
昏い水の中に、光のつぶが浮かんでははじける。光はいくつもの色をはらみつつ回転し、虹の竜巻のようになって底の方に眠る魚を目覚めさせる。
今、蛍は魚だった。
誰も、起こしてくれないから、死んだように眠っていたのに。
鉛のように重たいまぶたをゆっくり持ち上げると、水槽に黒い、白い、青い、赤い、緑の、橙の、それらが混ざりあった色のグッピー達が泳いでいる。エアポンプから小さな気泡が湧き出て浮かんでははじけていく。じっとその様子を見ているうちに、頭の中のもやもやとした思念がだんだんと定まってきた。
・・・・・・仕事にいかなきゃ。どうして? もう時間だから。どうして誰も起こしてくれなかったの? 一人で寝ていたから。どうして一人なの? ・・・・・・蛍はそこまで考えてはっとした。改めて、自分が一人になってしまったことを思い出した。一緒に住んでいた彼は、もういない。彼は――蝶は、どこかに飛んで逃げてしまった。
蝶が逃げた・・・・・・蛍はさっきまで蝶に逢っていた、夢の中で。蝶は水であり、光だった。蝶は彼女を包み込む世界だった。そのなめらかな鱗粉が五色に光る大きな羽で、そっと蛍を庇っていてくれたのだ。
深い眠りの内に、彼女はそれを悟った。今更? そう、今更のことだ。泣き腫らした目を、きつくこすりながら、まるで羽化するように、布団から抜け出る。何をしようか? 支度したら、バイトに行かなきゃ。蝶を探すのは? 探す? 彼を捕まえるための虫取り網は、もう持ってない。電話番号やメールアドレスを知っていたって、実際に会ったって、あの珍種の蝶を捕まえることはできない。
彼は、飛んで行ってしまった。どこか、知らないところへ。まだ、生きていればいいのだけれど――現(うつつ)の景色は、今やひどく色褪せて見えた。
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