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『そこに落とされる一筆が、今まで平面に眠っていた動植物の輪郭に命を宿していく。
すべては光と影で創られている。人もまたそうなのだ、と。
静かに描き続ける端正な横顔が、そう語っているように思える。
彼はじれったいほど自分を語らない。
開けようとして閉ざされるのが嫌で、私はただ少しだけ距離を置いて描く彼を見つめている。
けれども、時たまポンと弾けたように魅力的な笑顔で自分の感じた楽しい出来事を喋り続ける時がある。
そのギャップには子女ならずとも、不思議に心を惹きつけられてしまうはずだ。
ミサキ・リク。
本書はこの若き画家の素顔を4回にわたり追ってみたいと思う』
なめらかなアート紙を指でなぞったあと、男はその美術誌をパタンと閉じた。
表紙に書かれた画家の名前から視線を逸らし、足元のくずかごに捨てようとしたのだが、思い留まる。
再び先ほどのページを乱暴に開き、その画家のプロフィールと、記事を書いた記者の名前をくどいほど確認した後、男はようやく溜めていた言葉を吐き出した。
「リク。……お前なのか」
◇
久々に大東和出版の編集部に足を踏み入れた玉城(たまき)は終始落ち着かなかった。
広いフロアに大勢の社員がバタバタと時間と戦いながら業務を遂行している。
とにかく殺気立っている。
パーテーションで仕切った簡易応接スペースに通された玉城はどすんと目の前に座った大柄な女編集長、長谷川を恐る恐るみつめた。
長谷川はしっかりと玉城の手書きの原稿を持ち、見つめている。
気に入らなければ首でも絞められそうな、そんな空気に玉城はごくりと息を飲み込む。
けれど意に反して柔らかい笑みを向けて長谷川はポンと玉城の肩を叩いた。
「いいじゃない、いいじゃない、玉城。次号はこの感じで行こう。よくあの嘘つき鳥の生態をここまで観察できたよね。いいと思うよ。初回の文章も気に入ってたけど、今回もあいつの雰囲気をちゃんとあんたの目線で掴めてる。いいよ、合格」
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