モテについての考察

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「なぜ、モテないのか?」というワードがTwitterのトレンドにランクインしていた。 そういえば、大人になってから「モテない」ということを真剣に考えたことがなかった。 いやな奴だな、と書いてからおもった。 高校は「やりすごす」ことをぼんやりとして過ごし、高校生活は快適だった(彼氏なし。他校の男子と文通という時代錯誤さ加減!) 大学は親元から晴れて離れることができてハッピー! ということで、男女の云々よりも大学生活を毎日女子会! で最高に楽しい毎日を過ごした(基本的に彼氏なし) 大学4年に恋をして、失恋して、彼氏ができて、卒業して、3年交際して、別れて。彼氏ができて、数年つきあって、別れて。という具合に、だいたいモテ期みたいなものがあって、「彼氏ほしー!」となったのは大学の卒業のときあたりくらいか。 モテないということを考えていないから、モテないという自覚をもつことができない。 「モテる・モテない」を自覚することが第一歩という考え方もある。 ◆ カサカサに乾いている20代女子を眺めるにつけ、おもうことはある。 「乾いている暇はない。恋をするのももちろん必要だ。 それと同時に、恋をされることをめざすのだ。女子よ!」と! 声を大にして! わたしは言いたい! 「恋をされる女子をめざせ!」 わたしは、自分を敵視する、もしくは、わたしに憧れる(?)女子のことを好きではない。煩わしいと思っているし、存在が消えてくれればいいのにとも感じることが頻繁にあるけれども。一方で、彼女たちを観察して考察することや分析することが大好きで、研究材料にしていることも事実だなあとたまに感じる。 もしかしたら、自分よりも自分磨きをしていない怠け者を目にすることで、安心しているのかもしれない。 上を見たらきりがないことは十分承知しているはずだ。なのに、下を見ることで安心感を得ているのだろうか。 それは、とてもしょうがない人のすることだなあ。 まあ、それだけでもない。 人間観察とその分析は大好きだ。 ◆
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