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一之瀬さんに愛しさを感じた事が……
「勿論、あるわ。あなたといる時間はとても楽しくて、満たされていた」
例えそれが、胸を焦がす程の情熱とは違っていても―――。彼を慕い、安らぎを得ていた感情に偽りはない。
「そうか、良かった。それを聞いて救われたよ」
「一之瀬さん……」
「女々しい事を言ってすまなかった。前言撤回。中年男の見苦しい未練は、潔く持ち帰る事にするよ」
そう言って彼は目尻に優しいしわを刻むと、引き取り手を失っていた指輪のケースを掴んだ。
そして、椅子に置いてある黒革のビジネスバッグにそれを入れると、静かに珈琲を飲み干して席を立つ。
立ち去ろうとする彼を見上げる私。
何か言葉を掛けなくてはと気が逸るのに、自責の念が喉に詰まって言葉が出て来ない。
「―――ああ、そうだ。大阪で新しく手掛ける事業の中に、ジュエリーブランドの名古屋進出がある。もし良かったら、いつか彼と一緒に遊びにおいで」
「え……」
「オーダーメイドのネックレスも指輪も、俺の名で特別安くさせるから。……あっ。これは未練で言ったんじゃないぞ?ビジネスだ」
陰気を纏う私を見つめる彼は、爽やかな笑みを揺らす。
冗談を交えた言葉も、柔らかな笑顔も、全て私への気遣いだと分かる。
「……ありがとう、一之瀬さん」
じわりと熱くなる瞼。しおらしく頷いて、テーブルの上に目を伏せた。
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