自慰

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二人の間に降りたのは、虚しさを煽るような深い沈黙。夏の訪れを感じさせる生温かな風が、淀んだ街の空気を吸い込んで私の体に纏わりつく。 「……可哀想に。苦しみから逃れるために、愛された記憶までも憎しみで消そうとしているのね」 耳障りな騒めきに紛れて聞こえて来たのは、私の姿を痛々しく見る磯崎さんの声。彼は悲し気な声で言葉を繋いだ後、まだ何か言いたげな唇を結んだ。 愛された記憶? 世界が彼の存在一色に染まるほどに愛し、愛された、二度と戻らないあの幸せな時間。 ―――けれど、思い起こす度に不安になる。私は本当に愛されていたのだろうかと。そして、それを考える度に気づかされる。愛されていたと言う確信は、今の私を苦しめるだけだと。 それならば、愛の存在など否定してしまえばいい。 「愛された記憶?そんなもの初めから無いわ。私は父親捜しのためにアイツを利用しただけ。アイツにとっても、私の存在は都合の良い暇潰しの相手だった。それだけよ」 向けられる視線を振り払う様に言って、胸の奥から込み上げて来る感情を押し殺す。 「大丈夫、私の前では無理しなくて良いの。これ以上、自分を虐めては駄目――」 「無理なんてしてない!……なら、思い出を憎しみに変えて何が悪いの?それで前に進めるのなら、幸せだった記憶なんて要らないわ!」 「麗ちゃん……」 「現に、アイツの中に私は居ない。毎日、婚約者と仲良く院内の廊下を並んで歩いてる。―――悔しいじゃない。私だけがこんな、……ホント、馬鹿みたい」 感情に任せて次々と口から飛び出した本音。手のひらを俯く額に当て、自嘲しながらため息を吐く。 「あなたは自分しか見ていない。あなたには、まだ悠希くんの心が見えていないのね」 私を見つめる僅かな間を置いて、磯崎さんは夜風の中に静かな声を落とした。
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