7092人が本棚に入れています
本棚に追加
/837ページ
彼の囁くような優しさが心を擽り、どんな顔をして良いのか分からずに戸惑う。
「これ以上は甘やかさないでよ。また涙腺が緩んじゃう。泣き虫なお子ちゃまだから」
照れ隠しに満面の笑みを浮かべ、手に持っていたショルダーバッグを肩に掛け直した。
「泣きたい時は泣けば良い。涙の数だけ強くなれるよ――って、確かそんな歌あったよな?川崎麻〇だっけ?」
「違う!岡〇真夜!」
突拍子もないボケに思わず吹き出す。
「そうだそうだ。それそれ。ちょっとマヨ違い」
「全然違うし!しかも古っ!ナツメロ!」
「ナツメロじゃない!仕方ないだろ、俺は昭和の人間なんだ!」
「ああ、それもそうね」
「だろ?」
あどけなく笑う彼があまりに可笑しくて、再び失笑し肩を揺らす。
「ーーーじゃ、またな。頑張れ、麗香。自分を嫌いになるなよ」
私の様子を見つめる彼が、穏やかな表情をして言葉を添える。
「うん、ありがとう。またね。一之瀬さんも仕事頑張って」
束の間の安堵を得た私は深く息を吸い込み、肩の力を抜いて彼の笑顔に応える。
途切れる事の無いネオンの中に消えていくタクシー。置き去りにされた空き缶の如くそこに突っ立つと、聞き慣れた単調なざわめきが、海の音の様に耳に流れ込んでくる。
いつか私も、一之瀬さんの様に、磯崎さんの様に器の大きな人間になれるだろうか。
過ぎ去った時間を思い出だと、笑って話せるだろうか。そしていつの日か、悠希と笑い合えるだろうか。
彼の本当の気持ちを知りたい。彼が守ろうとしたものが何かを知りたい。
苦しくても彼から目を逸らさず、逃げ出さずに居たら、未来を照す何かが見えてくる?
未練を断ち切って私は前に進めるの?
「教えてよ、悠希……」
重いため息をついてふと足元に視線を落とすと、街路樹とアスファルトとの境界に咲くキキョウソウが目に映る。街灯に照らされる紫色の小さな花。
「アスファルトに咲く花のように……か。ひっそりと生きていくなんて性に合わない。私は踏まれたら踏み返してやるわよ」
踏まれたら粉々に砕けそうな強がりを吐いた私は、唇をキュッと引き結び、夜の街にヒールの音を響かせた。
最初のコメントを投稿しよう!