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「優馬」
そう言って半歩近づいてきた草太を、優馬は思わず体を引いて避けた。
頭ではなく、体が示した拒否反応だった。
目の前にいるのは間違いなく、幼馴染で気心の知れた友人のはずなのに、草太の言葉によって、草太に似た別の恐ろしい何かに変化してしまった。
「草太。……その冗談、サイテーだ」
なんとか、それだけ言えた。そのあとは何を言っていいのか見当もつかない。
冗談だよバーカと笑ってくれるのをどこかで期待した優馬だったが、草太がその口元に浮かべた笑みは、卑屈な感じのするものだった。
「うん、サイテーだよね。冗談でもないし」
「草太」
「死んだって言わないでおこうと思ったんだよ。絶対、絶対に言わないで、優馬の友達でいようと思ったんだ」
「……」
「でも、お前、死にたいとか言うし。自分の嫌なところ全部俺に晒して、手ぇ伸ばしてきてるのに、俺は本心隠してそんなの聞いてらんないし。相談に乗る振りして適当な事言えないし。
優馬が真剣なんだったら、俺だって真剣にぶつかろうって……。だから話した」
もうそれ以上は一歩も近づことせず、じっと静かに優馬を見つめた草太の目が赤かった。
「優馬は弟を殺してなんかいないよ。忘れてしまった時間があったとしても、それだってきっと事故のようなもので、優馬のせいじゃないに決まってる。
卑怯だから都合の悪いことを忘れてしまえるっていうんなら、昨日菜々美にしたことだって、忘れちまえばいいんだ。でも、忘れずにこうやって苦しんでるじゃないか。優馬は卑怯者なんかじゃない」
草太の声にはもうどこにもエキセントリックなものはなくなり、不思議なほど静かに優馬の中に落ちてきた。
けれどやはりもう、目の前の草太は、優馬の知っている草太とは違っていた。
一呼吸置いた後、またなにか知らない言葉を吐かれるのではないかという恐怖心がぬぐえない。
「優馬に恥ずかしくないように、俺も全部話した。……気持ち悪かったらごめん。ほんとごめん」
もう一度、こんどは俯いたままそう言うと、草太は教室をゆっくりと、静かに出て行った。
もうオレンジ色の温かな光は壁や床から消え、褪せた夕暮れの薄いブルーグレイが、優馬ごと教室を、足元からゆっくりと沈めようとしていた。
------ 時刻は16時55分。
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