第3話 事件と憶測と

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職員室の窓ガラスには、外側からうっすらと土ぼこりがこびりついていた。 この数週間の異常な乾燥のせいだろうか。 松宮剛志(まつみや つよし)は顔をしかめながら、そのガラス越しに中庭を見下ろした。 登校してくる生徒たちの小さな頭がゾロゾロと中庭を抜け、昇降口に吸い込まれていく。 毎日変わらない眺めだった。 髪を染めるのは厳禁。前髪は眉にかからぬようにカット。靴下は原則として、白。実はたいした意味もないそんなルールを、けな気に守りながら過ごすサナギたちを、松宮は毎朝こうやって見下ろす。 教員採用試験にパスし、教壇に立つことになって6年になるが、いまだに疑問を感じ続けている。 自分は一体なぜ、自分を一番苦しめるこの場所にいるのだろうと。 今年は1年2組の担任を任された。 つい2週間前までランドセルを背負っていた子供たちが、入学式の日に紹介された松宮を一斉に見つめるのだ。 身震いがした。 期待や緊張は最初の数分だけで、そのあとは探るようにじっと息を殺す。 笑いを取ることもモチベーションを上げる脱線話もしない担任に、生徒たちはすぐに興味を失い、今はきっとインフォメーション係くらいにしか思っていないのだろう。 けれどそれは近すぎず面倒も起こさない、ちょうどいい距離でもあった。 やはりガラスの汚れが気になる。昼休み、時間があれば拭いてやろう。 松宮は窓ガラスをコンと指先でつついた。 ふと見た爪の先に、赤黒いものがこびり付いている。 血かと一瞬思ったが、昨夜触った絵具だと思い出して、苦い笑みを浮かべた。 擦ってみたが、爪の間に入り込んでうまく取れない。 「えー、遅くなって済みません。朝礼を始めます。あ、申し訳ない。廊下側の戸と窓を閉めてもらえますか?」 いつもより遅れて始まった職員の朝礼は、少しばかり物々しい印象を受けた。 生徒に聞かれてはならない伝達事項なのだろう。 「3年のあの生徒、容体がよくないらしいですよ」 新任の副担任が、小声で松宮に耳打ちしたあと、そそくさと自分の机についた。 例の事か。ホームルームが始まるというのに、長引きそうだ。 ひとつ嘆息し、松宮は立ったままもう一度だけ中庭を見下ろした。
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