第26話 咆哮

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けれど、もうすぐいなくなるのだ。この人は。 また一人ぼっちになるのだ、と思い至ると、底知れぬほどの不安に絡めとられそうになる。 テレビの音量をずいぶん上げていたため、寝室のドアが開いたことに、菜々美は気づかなかった。 「まあ……! まあ、何なの、あなたは」 甲高い声に振り向くと、目を飛び出さんばかりに見開いた、やせぎすの初老の女が菜々美を凝視していた。 静子だ。 菜々美は心の中で舌打ちし、改めて自分の姿を眺めた。 スカートと上着は添い寝の時くしゃくしゃになるので脱いでいた。 驚かれても仕方がない。風呂上がりの素肌に薄いシャツだけひっかけたような恰好なのだ。 けれど、なにも悪いことをしているわけではない。 取り繕うこともせず、菜々美はただ黙って静子を正面からじっと見た。 「あきれた! たぶん、ろくでもない趣味があるとは思ってたけど、まさかこんな子供となんて! 情けない!」 情けないというのは私の事だろうか。それとも先生のことだろうか。 菜々美はそんな疑問を抱きながら、ただ冷静に静子の憤慨を受け止めていた。 「ちょっと忠彦さん、起きて頂戴! 冗談じゃないわよ。妹を愚弄するにも程があるわ。世間の目もあるし、独り者のあなたの面倒を見に来てあげてたけど、もう真っ平御免だわ。一時だってこんなところにいられやしない!」 「大きな声出さないでください。先生が起きちゃう」 菜々美が遮ると、静子は汚い虫でも見るような目つきで睨みつけてきた。 「ああ嫌だ。こんな子供となんて、気色悪い!」 けれどさすがにこの罵倒には、菜々美も怒りを禁じ得なかった。 気色悪いとは、いったいどういう意味なのだ。 「おばさんにそんなこと言われるほど悪いことなんてしてません」 「忠彦さん、ちょっと起きてよ忠彦さん! 私もう嫌ですからね。金輪際ここには来ませんよ。かわいそうに。妹が泣いてるわよ! ひどい侮辱だわ! ねえ起きなさいよ!」 「大きな声出さないでってば!」 とっさに傍に置いてあったペーパーナイフをつかんだのは、全くの無意識だった。
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