142人が本棚に入れています
本棚に追加
炎。―――――――炎だ。
ずっとここ数日、自分の中で揺らいでいた炎のイメージ。
胸のあたりから込み上げてくるものがあった。
床に転がったままじわじわと広がっていく炎を、憑りつかれた様に優馬は目を見開いて見つめた。
もどかしいほどゆっくりと、何かが戻ってくる。
何だろう。何があった? あの夜、確かに空白の時間があった。
気付いていたのに気付かないふりをしていた。
あの夜、コンビニからの帰り……。
ゴワッと音を立て、部屋の隅に置いてあった布製のソファに火が燃え移る。
頬が熱で火照ったが優馬は目は背けず、天井に煙と炎が這いあがるのを見つめながら記憶を辿った。
もう少し。 もう少しで手に届く。
遠くで草太の呼ぶ声が聞こえた気がした。
その瞬間、奥底にせき止められていた塊が一気に膨張して胸を突き上げ、優馬は大きく口を開いた。
今までに感じたことのない感情の濁流に飲み込まれ、そして障壁に叩き付けられた。
脳裏によみがえったのは、明らかに常軌を逸した目をして、火のついた雑誌を他人の家に放り込んでいる信夫であり、自分の倒れた自転車であったが、優馬の脳の中で行われたのは記憶の書き込みではなく、必死なまでの拒絶反応だった。
信夫は、草太の父親。家族なのだ。もう2年も、草太の家族なのだ。
その信夫の犯罪などあってはならない。あるはずがない。見てはならない幻影なのだ。記憶にとどめることは草太の家族の崩壊につながる。見てはならないもの。存在しなかったもの。
忘れろ。
そうだ、そう思った。
確かに自分の意志で記憶を消そうとした。
今考えれば、自分の短絡的な感情の愚かさに気づくが、たぶんそれは情報が記憶にとどまるまでのほんのコンマ数秒なのだ。
本能でありそれが本質なのだ。 弱くて愚かしい、木戸優馬という人間の。
もう目を開けていられないほどの熱と煙が、横たわるその体を包み始めたが、優馬はただその事実に打ち震え、正常な感覚を失いかけていた。
最初のコメントを投稿しよう!