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目の前のベッドで、痛みと不快感のせいか、再び直がむずがり、四肢をつっぱって体を反転したのが見えたが、もう優馬は近づくのも怖かった。くぐもった息遣いから耳を塞いだ。
忘れてしまえ。忘れてしまえ。
あれは違う、自分がやったんじゃない。僕は知らない、直など、触れてもいない。
何度も心の中で叫んだ。
ただ紀美子を失いたくなかった。それだけだった。
大好きだった。紀美子に愛してほしかった。自分をずっと見ていてほしかった。
本当にただそれだけだったのだ。
ただそれだけのために、目を閉じ、耳を塞ぎ、意識を閉ざした。
石のように体を丸め、リビングの隅にうずくまった。
胸を貫くような、紀美子の悲痛な叫び声で目を覚ますまで。
5年前の夏の白昼から、ゆっくりと思考は現在の暗闇の中へと戻ってきた。
小さく、浅く呼吸する。
目じりから耳に伝うのは今度は血ではなく、自分の涙だとかろうじて認識できた。
真実は真綿でくるむような緩慢さで、優馬の胸を呼吸もできないほど押しつぶして来た。
身勝手で弱くて嘘つきな自分が、やはりそこにいた。
救えなかったことよりも、保身のために逃げた姑息さに絶望を感じた。
自分が直を直接的に殺したわけではなかったということ。
それは、優馬が命と引き替えにしても欲しかった真実だったはず。
けれどもそれが分かった今、優馬には何の安堵も解放感もなかった。
『もしも、“記憶が戻ったよ、僕は直に何もしていない”と優馬が喜んで言ったとしても、それが本当かどうか、私には判断できない。仮にそれが真実だとしても、直の死を置いて自分の無実を喜ぶ優馬の姿を、私は見たくないかも……』
担任に語った紀美子の言葉。思えば、あの時答えは出ていたのだ。
それでも足掻いてみたかった。
もしかしたらどこかに自分のプライドと、紀美子を失望させない真実があるかもしれない。
けれど命と引き換えにしても取り戻したいと思った記憶は、結局誰も救わなかった。
弱くて卑怯で、ちっぽけな自分を確認できただけで。
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