第32話  優しくて残酷で

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触れてはならない何かに触れてしまった時のように、悪寒が背筋を走る。 今朝がた、やっと最後に提出してきた草太の未来への手紙は、きっちり封印してあったが、その中には二枚の便箋が入っていた。 一枚は草太が書いた10行程の短い手紙。 たぶん草太がそれだけ入れて封印したものを、信夫が丁寧に開け、趣旨を知って自分も10年後の草太へメッセージを書いて入れたのだろう。 それが悪いとは言わないが、この信夫の文面は冗談だとしても、精神を疑う。 木戸優馬とは、数時間前に話をし、廊下で別れたところだ。 この未来への手紙をまさか担任が読むとは信夫も思っていなかったのだろうが、それにしてもこの狂気じみた内容はどうだ。 信夫が草太たちと同居し、いずれ籍を入れるということは母親の京子から聞いていた。 参観日や総会にも母親の代わりに必ず出席し、少し神経質なまでの愛情を示していたのを松宮は知っていた。 父親になろうと頑張っているのだろうと思っていたが、もしかするとそれは、想像以上の狂気を含んだ愛情だったのかもしれない。 そう思うと納得できる行動が多々あった。 この手紙に至っては、明らかに精神疾患の域に達している。 焦り、それとも嫉妬か。想像上で草太の親友を殺してしまいたいと思うほどの? 信夫は家族を愛そうとしているのではなく、ひたすら愛されようとしているのかもしれない。 其処からくる狂気、妄想。 愛を求めすぎれば、いつか愛情はほころび破たんする。この手紙からは愛情に飢えた男の狂気しか感じられない。 ―――行き過ぎた愛欲は、どこまで人を捉えて振り回すのだろう。 松宮の父親は愛すべき人を愛しきれず苦悩し、愛してはいけない少女の愛を求め、心乱した。 菜々美は愛されるべき家族の愛に飢え、その空虚を忠彦からの愛で満たそうとした。 愛される事でしか自分の存在意義を見いだせないのならば、人間は悲しい生き物だ。 しかし、それにしてもこの文面。妄想で殺す対象がなぜ優馬なのだろう。 草太と仲がいいだけで殺されなければならないのだろうか。 松宮の脳裏に、あの少年のまっすぐな澄んだまなざしが像を結んだ。 木戸優馬。彼ほど純粋で悲しいガラスの原石のような少年は、今まで出会ったことがなかった。
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