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血のつながらない母親を、優馬は心底愛している。
本人とそんな話をしたことはもちろんなかったが、松宮が教師という枠を超えた眼差しで優馬を見つめていたせいもあり、折に触れそれを確認できた。
もしかするとそれは通常の母親への愛とはまた違う、ある種特別な思慕なのかもしれないとさえ思えた。
それなのに二人の間には弟の死という、底なしの溝が横たわっている。
たぶん埋まることのない溝。
それを眺め、苦しみながらそれでも懸命に愛し愛されようと足掻く優馬が、松宮には愛おしくてたまらなかった。
その純粋さ、愛される母親に嫉妬を覚えるほどに。
木戸優馬の手紙を先ほど開いて読んだ。あれは自分にではない。母への手紙だ。
思わず松宮はすぐさまそれを木戸紀美子に読ませてやりたくなった。
愛していながら、それでも心の底から優馬を信じてやることができずにいる、あの母親に。
これがあなたの息子の『心』なのだと。
穢れないものはまだこの地上に、確かにある。
胸の奥底から湧き上がってくる興奮にも似た喜びがあった。
信夫の「愛」はたぶんその対極にある。
愛という名の狂気だ。到底正常な精神状態だとは思えない。
もしこれが誰の目にも触れず、10年後に草太の手に渡ってしまったとしたら、どうするつもりなのだろう。
そんな気違いじみた妄想を義父が抱いてると知ったら、もしも家族として順調に暮らしていたとして、破たんをきたすのは間違いない。
なぜそんなことを。
松宮の呼吸が一瞬止まった。
もう一度その文面を見る。
この文面が破たんしていない状況が、10年後に訪れることをこの男は知っていたのだろうか。
慌てて松宮は受話器をとりあげて外線のボタンを押そうとした。
木戸優馬は、在宅しているだろうか。心臓が鼓動を速めた。
けれどそれを妨害するように電話のベルが鳴った。
松宮の斜め向かいで電話を取った事務員が、うんざり顔で、また警察からだと松宮にジェスチャーする。
岸田の件だろうと松宮も思ったが、けれど電話対応する事務員の表情は一変した。
「え……。火事? ……まさか。 それ、間違いないんですか?」
硬直したままの松宮に、蒼白の事務員が訊いた。
「木戸優馬って、先生のクラスの生徒でしたよね……。いま警察から……」
***
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