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自宅マンションが見えてきたとき、携帯の着信が鳴った。
名前を見て口元がほころぶ。
耳に当てると、相変わらずの快活な声が聞こえてきた。
『草太、久しぶり! もう家に着いた? それともやっぱりタクシー代ケチって駅から歩いてるの? 言ってくれたら車で迎えに行くのに』
「いらねえよ。パンダとキリンが踊ってるあんな派手なピンクの車!」
『失礼ねぇ。子供たちには大人気なんだから。あのバン』
菜々美は高校卒業を機に家を出、バイトをしながら自力で専門学校に通い、保育士の資格を取った。
10年前は、どこまで道を踏み外すのかと思ったが、今では児童指導員任用資格も得て、児童養護施設で小さな子供たちの世話に明け暮れている。
「私ね、めいっぱいこの子たちを愛してあげるの」
化粧っ気もない顔でそう言って笑った菜々美は悔しいほど大人で、そして、とても綺麗に見えた。
愛情を求めて藻掻いていた女の子は、あの時期さんざん藻掻いた揚句、与える喜びに目覚めたのだ。
それに引き換え、求めることも与えることもできずに、まだ森の中を彷徨っている草太は、少しばかり俯くしかなかった。
きっとこの深い森に、出口は無い。
優馬は……。どうなのだろう。
『ねえ草太。迎えに行っちゃおうよ。空港まで。今日は私、頑張ってお休み取ったから』
「……優馬を?」
心臓がトンと跳ねた。
10年前のあの日、モーテルの火災に気が付いた通行人の通報により、間一髪のところで優馬は助け出された。
心肺停止状態からの奇跡的な生還に、草太は初めて神の存在を感じ、泣きながら感謝した。
もしあの時優馬がこの地上から居なくなっていたら、たぶん自分も今、こんなに普通の生活を送れていなかっただろうと思う。
否、その喪失に耐えられず、ここに存在すらしていなかったかもしれない。
あの日あの瞬間、自分を追いつめることで取り戻した記憶があることを、のちに優馬は話してくれた。
そしてそれは、過去の一つとしてそっと自分の中に収めておくということも。
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