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命がけで取り戻した記憶の使い道を、草太がどうこう言うつもりは無かった。
ただ、自分の存在が紀美子を縛っていると思うのだけはやめろと、それだけ強引に伝えた。
きっと優馬は、その後の長い時間をかけて、紀美子という人間を慕い続けていくのだろうと、草太は思った。
愛を求めることを諦めた友人の、継母に対する深いまなざしと悲しみを、草太は胸を掴まれる思いでそっと見守った。
優馬は2年前大学を休学し、アメリカに留学を決めた。
離れることが紀美子のためだと思っていたのか、それとも義母に抱いてはならない別の感情を、振り切ろうとしたのか。
「素直じゃないよな」
優馬の紀美子への感情に気づいた草太は、旅立つ前の優馬にそう言ったが、優馬はただ悲しそうに笑っただけだった。
「俺、やっぱり本格的に失恋だな」
冗談に聞こえればいいと思いながらぼやいた草太の肩を、優馬は同じように、冗談っぽく一瞬抱きしめてくれた。
2年ぶりに日本へ帰ってくる友人は、少しは自分自身に甘くなっただろうか。
少しは楽に生きる方法を、身につけただろうか。
そうだったらいいのにと、草太は思う。
『あ、ほら、まだ月が残ってる。……真ん丸』
菜々美が電話越しに大きな声を出した。
見上げると、朝日と反対方向の空に透けるような白い月が浮かんでいる。
触れると壊れそうな、悲しいほど頼りない月だ。
けれどちゃんとそこに存在している。
『ああ~うさぎの絵も描いてもらえば良かったな、園のバンに。しくじった』
菜々美が、さも残念そうに電話の向こうで言う。
草太は同意せず、力なく笑った。
「おまえ、欲張りなところは相変わらずだな」
―――生きている限り、不確かな『愛』を求め、焦がれ、自分たちは深い森を彷徨い続ける。
ちょっとばかりレールを逸れ、出口を見失って足掻く自分たちを、月のうさぎは優しい目で見守ってくれるだろうか。
あの澄んだ空の上から。
それならそれで、森の奥底までとことん迷ってみるのもいいのかもしれない。
愚かで悲しい自分たちの亡骸を、いつか月あかりがそっと照らしてくれるのなら、もう、それで。―――
「よし、優馬を迎えにいこう」
草太は電話のむこうの菜々美にそう言うと、自宅マンションの階段を一気に駆け上がった。
(了)
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