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その夜。
ぬるい湯に浸かりながら、優馬は空を見上げた。
子供のころから風呂場のガラス窓を全開にして、月を見るのが好きだった。
紀美子は『気味が悪いから風呂の窓は閉めて入りなさいね』、と再々言うが、木戸家の裏は藪になっていて、優馬の裸を見るものがあるとすれば、それは月や星くらいのものだろう。
7年前、父親が再婚を期にこの一戸建てを建てるとき、紀美子は風呂に窓は要らないと主張したが、父親は『風呂から夜空が見えたほうがいいだろう?』と言って譲らなかったらしい。
紀美子はもちろん必ず半透明の型板ガラスをぴたりと閉めるので、父が居なくなった今、この湯船から夜空を見上げるのは優馬だけになった。
今夜も空には雲一つなく、ふっくらとした秋の月が輝いている。
女性的な光だと思った。
ふんわり浮かぶ乳白色の球体は、自然と昼間見た菜々美の白い小さな乳房や、まだ幼いふくらみを残した下腹を思い出させた。
思い出してはいけないと分かってはいるが、まるで手に触れたようにあの腹や胸の柔らかさが生々しく想像できて、頭がのぼせたように熱くなった。
股間が再びじんわりと疼く。
急に見られているような気恥しさを感じ、慌てて窓を閉めた。
ずぶずぶと目の下まで湯船に沈み込み、息を殺す。
型板ガラス越しの滲んだ月が、それでもまだ、優馬を見下ろしていた。
無意識に伸びた手が、少し膨張したものをぎゅっと握る。
自分は最低だと思った。
……ごめん、菜々美。
心で呟いた瞬間、まるで気配がなかったのに、いきなり風呂のドアがパンと開けられ、紀美子が顔をのぞかせた。
目の下まで潜っていた優馬は特に動じず、ちらりと眼球だけ動かして紀美子を見た。
優馬の手元はミルク色の入浴剤が隠してくれている。
声を上げたのは紀美子だ。
「うわー、びっくりしたあ。やめてよ優馬。溺れてるのかと思ったじゃない。あんまり長風呂だから覗いてみたら。金魚じゃないんだから、ちゃんと鼻で息してよね」
笑いながら胸に手をやる。
こんな表情の紀美子は、本当に少女のように可愛らしかった。
「大丈夫。風呂で死んだりしないよ。かっこ悪いから」
湯から顔を出し、軽い調子で言ったのだが、紀美子が返事を返してくるまでには、ほんの少しだけ間(ま) があった。
それはたぶん、優馬にしか分からないコンマ数秒の間だった。
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