第1話 悪夢と共に

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漆黒の闇の中を、オレンジ色の炎が狂った蛇のように立ち昇っていく。 天を焦し、あまたの木々を焼き、火の粉が雪のように舞い落ちる。 火の粉はやがて自分を包み込み、いつしか火柱になっているのは自分の体だった。 呼吸ができない。 逃げなければ。 すべて忘れて。 自分の中のもう一人の自分が叫ぶ。 「いやだ!!」 絞り出した声に自分自身が驚き、木戸優馬は目を覚ました。 カーテンが開いていたため、9月の朝のまだ強い日差しが肌を照らしていた。 きっとそのせいで炎の夢など見たのだろう。優馬はまだ鎮まらぬ鼓動を感じながら、そう納得した。 こんな炎の夢を見たのはもう3度目だが、深く考えることは避けて、ベッドから飛び降りた。 椅子の背にかけてあった中学の制服に素早く着替え、カバンを持って一階に駆け下りる。 ダイニングキッチンに飛び込む前から1階には母、紀美子の作るお弁当用の卵焼きやウインナー炒めの匂いが漂い、いつもと同じ、当たり前の朝の予感がした。 おはよう優馬、と、顔を上げて紀美子が優しく言う。 優馬が笑ってそれに答え、用意された朝食を食べる。 紀美子はそれをちゃんと見届けてから、自らの出勤準備に取り掛かるのだ。 中学1年の2学期に入り、少しだけ背が伸びた13歳の優馬と、木戸家の一切の家計を支えている、まだ28歳の紀美子。二人に血のつながりは無かった。 優馬の実母は、彼が2歳の時に他界し、そして7歳の時に木戸家の後妻に入ったのが、まだ22歳の紀美子だったのだ。 優しくて朗らかで、まだ少女のような可愛らしさを感じさせる紀美子を、7歳の優馬はすぐに好きになった。 紀美子も本当の子供のように優馬を可愛がり、まるで元々そうだったように、親子3人の生活がスタートした。 けれども、あの5年前の真夏の白昼が、そんな穏やかな幸せを木戸家から掠め取って行ってしまった。 悪夢であり、そして空白の数十分だった。 5年前、優馬が8歳の春、紀美子は可愛らしい男の赤ん坊を産んだ。名前は(なお)。 父も紀美子も、溺愛という言葉しか思い浮かばないほどに、直を可愛がった。 色白のマシュマロのような赤ん坊を、8歳の自分がどんなふうに眺めていたのか、優馬にはうまく思い出せなかった。
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