第8話 欠けた時間の存在

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告別式は明日らしいが、教諭たちは何かあわただしく会議に入り、その日の1時間目は自習になった。 誰もが落ち着きなく席を立ち、自習するものなど皆無だったが、それは別の意味で優馬も同じだった。 死んだ岸田の事とは関係なく、目が追うのは草太と菜々美の背中ばかりだ。 草太とは、今朝はまだ何も話をしていない。そしてもちろん菜々美とも。 優馬は、窓辺の席で数人の女子と話をしている菜々美を、斜め後ろからボンヤリ見つめた。 頬から顎にかけてのラインに、産毛が光っている。 その肩も、腕も、きっと見えない部分も、あの絵のように日差しにかざせば金色に光るのだろう。 13歳の女の子は、そんな部分を他人に見られても平気なのだろうか。 絵画というものはいかがわしいものじゃなくて芸術なのだから、と言われれば納得できるのだろうか。 自分は男だが、芸術作品のために裸になってくれと言われても、絶対に断ると思った。 なぜ菜々美はあんな絵を他人に描かせたのだろう。そんなに心を許せ、信頼できる相手だったのだろうか。 それにしては、あの絵はまるで処分される前のように、額にも入れられず無造作に置かれていたように優馬には思えた。 そんなことをぼんやり思っていると、ふいに菜々美の正面で話していた女子が、優馬のほうを見た。 それにつられるように、菜々美も口元に笑みを浮かべながら、優馬を振り返った。 音が漏れてしまいそうなほど心臓がドクンと跳ね上がり、優馬は思わず目を逸らす。 一体なんだったのだろう。 自分の噂話だろうか。 心臓をバクバクさせながら逸らした視線が、今度は反対側に座る草太とぶつかった。 体がカッと熱くなる。 草太はいつからこっちを見ていたのだろう。菜々美をじっと見つめていたのを悟られてしまっただろうか。 今日の授業の予習をするように、と書かれた黒板の文字に従い、なんとなく掴んだ理科の教科書を広げる。 そのほうがよほど不自然に見えることはわかっていたが、何をしていればいいのか分からない。 皆が盛り上がっている岸田の話に混ざるのも嫌だったし、草太と話をするのも戸惑いがあった。 菜々美のあの絵の話以外に、今草太と語れることがあるとは思えなかった。 広げた理科の教科書は動物の生殖のページで、ウニの人工授精の画像の生々しい色に、優馬は吐き気を覚えた。            ***
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