第9話 知らない少女

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「それ、どういうこと?」 やっと絞り出した優馬の言葉に、菜々美は真面目な表情で言った。 「昔、何度か記憶が消えちゃうことあったでしょ? 今でもそんなことあるのかなあって思って」 「何度もなんて、ないよ。……1回きりだ」 直が死んだ時のことを言っているのだと、少し動悸が速まるのを感じながら優馬は思った。 草太と菜々美には、いつも隠し事などせずに何でも話した。 直が死んだ時、自分は傍にいたのにまるっきり記憶がないのだということも、すべて話した。 それほど二人は優馬にとって親密な存在だったのだ。 身の置き所のなかった優馬にとって、菜々美は草太同様、いつも優馬の「落ち着ける場所」だった。 けれど、その「何度か」という菜々美の言葉は優馬を打ちのめした。 まるで優馬が知らないうちに失った時間が、他にもあるとでも言いたげな口ぶりだ。 「そんな泣きそうな顔しないでよ。優馬ってホント変わらないね。不安がすぐに顔に出ちゃうの。でも、そんな不安な顔するってことは、心当たりあるんじゃないの?」 首から上の血がスッと下に降りて行くような感覚に包まれた。 「心当たり?」 自分が言った言葉なのに、やけに嫌な余韻があった。 「そんなもの、ないよ」 「あのね、朝、奈津季が優馬の事言ってたの」 「西山が?」 「奈津季ね。一週間前、優馬が見てる前でものすごく派手に転んだんだって。覚えてる?」 「……え」 「その時ね、思いっきりスカート捲れて……わかるでしょ? 優馬は真っ青な顔して目を逸らして行っちゃったんだけど、そのあと会っても、まるで何も見てないみたいに普通に接してきてくれたって、奈津季感激してた。 笑われても恥ずかしそうにされても、どっちでも傷つくんだけど、あれだけ“何もなかった”って顔されると、なんか惚れちゃうって。ねえ、どう? そのこと覚えてる?」 優馬は言葉もなく菜々美を見つめた。 そんな記憶など、全くなかった。 「私ね、思ったんだ。優馬って自分の意志で自由に記憶を消せちゃうのかなって。だったらもっと、消しちゃった記憶があるのかもしれないよね。私だったら1日の半分くらい、消しちゃうかもしれない」 急にぐいっと近づいてきた菜々美に驚き、体を交わすようにして優馬は教室の壁際に移動した。
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