第9話 知らない少女

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「なんか……変だよ。今日の菜々美」 「うん、そうよね。変だよね。追いかけたりしてごめん。これ割ったのも私のせいだよね」 「そんなこと言ってるんじゃなくて」 「うん、わかってる。自分でもこの頃ちょっと普通じゃないって思う。なんか時々怖くなってさ。だから優馬と話がしたかったの。ちょっとだけでもいいから。 優馬と私って、なんだか似てるとこがあるような気がして」 泣きそうな笑顔だった。 それも初めて見る、胸を締め付けられるような菜々美の表情だった。 いったいこの友人の中で何が起こっているのだろう。あの絵に関係することなのだろうか。 何か言わなきゃ。そう思うのに、目の前の友人の変化の大きさに言葉が出てこない。 「あーあ。ひっでぇーな、それ」 いつの間に理科室に入ってきていたのか、のんびりした声を出しながら、草太が二人の前に歩み寄ってきた。 信じられないことに草太は、躊躇することなく床に伸びた白い塊を指でつまみ、しずくの垂れるそれを菜々美の目の前にかざした。 「女子が来たら大騒ぎになるぞ? こういうの苦手だろ? 女の子って」 「草太! やめろよ!」 「何だよ優馬。これホルマリン漬けじゃないから触っても平気だよ」 「そうじゃなくて!」 「無垢な顔して眠ってる」 つまんで吊るされた白い肉塊を間近に見ながら、菜々美が言った。 「これ、犬の胎児よね。生まれる前に取り出されて標本にされちゃったのかな。眠ってるみたいに穏やかな顔してる。胎児って、人間もこんな風に無垢なんだろうね。でも生まれちゃったらもうおしまい」 少しも気味悪がることなく、菜々美はその白い塊を覗き込んだ。 その声は気味悪がるどころか、夢見るようですらある。 それはまた、今までに優馬が見たことのない菜々美の表情だった。 唖然とした表情の二人にニコッと笑いかけた後、菜々美は掃除用のロッカーから塵取りとモップを持ってきて、片づけを始めた。 ちょうど昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。 まだぼんやりとふやけた犬の胎児を握っている草太に向かって、菜々美は静かに言った。 「草太、それ早く捨てちゃてくれる? 女の子はそういうの苦手なのよ」
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