第10話 月のうさぎ

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「ねえ優馬。たまには一緒に帰ろうか」 校門を出て一人で歩いていた優馬に、菜々美が後ろから声をかけてきた。 菜々美のバドミントン部も今週は休みなのだろう。 昼間のことなど無かったかのように、屈託のない明るい声だ。 優馬には意外だったが、すぐ後ろを歩いていた草太も「じゃあ、俺も」と、そこに加わった。 そういえばクラブ活動がみなバラバラだったせいで、家が同じ方向なのにも関わらず、3人でこうやって一緒に帰るのは中学になって初めてだった。 小学校の時は当たり前だったのに、今はとても緊張する。 昼間の理科室の騒動のせいもあったが、やはりあのモーテルで見た菜々美の絵の事が大きかった。 草太の反応が気になってちらりと横を見ると、草太は特に何もなかったかのように無表情だ。 こちらに意味ありげな視線も仕草も、よこして来ない。 草太にも自分と同じように苦しんで欲しいなどとは思わなかったが、なにか拠り所を失い、自分がどんな反応をしていいのか優馬にはますます分からなくなった。 あの絵を見てしまったという罪悪感は自分だけのものだろうか。 草太はどうもないのだろうか。 誰に訊くことも出来ずにその問いを飲み込んだ。 同時に改めて、自分には自由に記憶を消す力など無いのだと優馬は確信した。 もしそんな器用なことができるのなら、真っ先にあの、菜々美の裸の絵の記憶を消すだろう。 そう菜々美に言いたくて堪らなかった。 二人と共に、黙ったまま歩きながら、優馬は空を見上げる。 まだ太陽は完全に沈んでいなかったが、空には丸みを帯びた白い月が浮かんでいた。田舎町なのでそれ程高い建物はなく、今日も澄んだ空気の中、クリアに見える。 さらりと頬を撫でていく風が気持ちよかった。 「うさぎ、今日もいるね」 優馬の視線を辿って月を見上げた菜々美が言った。 その言葉に、甘酸っぱく切ない想いが優馬の中に広がった。 胸の奥から染み出してきたのは、昔聞いた童話の一説だ。 子供向けのインドの寓話だった様な気がするが、なぜか優馬の心の中から離れずにいた。 人に言ったら笑われるかもしれなくて、今まで誰にも語った事のない優馬の想いが、そこにある。 3人の視線が月を捉えたと分かった時、優馬の口からその言葉が零れ落ちた。 それは衝動に近かった。
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