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菜々美はTシャツ1枚になると、清潔なシーツのかかったベッドの上に、体を仰向けに横たえた。
先に寝転がっていた大きな体が、もぞりと転がって菜々美の方を向く。
緊張は無かった。
この部屋では、何もかもが優しく、清らかなのだ。
油絵の具と古い本の匂いがして、菜々美はこの部屋が好きだった。
もし許されるなら、あの寒々とした自分の家になど帰らず、ずっとここでこうやっていい匂いに包まれて暮らしたかった。
大きくて骨張った手が、菜々美の頭を何度か撫で、そして頬を優しく撫でた。
耳のあたりの髪の毛を指先で弄び、ゆっくりと肩に下りて行って、細い鎖骨を撫でる。
けれどその手はいつもと同じように、そこで急に戸惑うのだった。
まるで見えない障壁があるかのように、指は宙を数回撫でる。そのまま何かをとがめられた生き物のようにゆっくり鎖骨の上に伏せられ、じっとするのだ。
何かを考えているようにも、羞恥に震えているようにも見える。
そんな時は決まって“先生”の目も、どこか所在なく漂い、やがて伏せられるのだ。
菜々美にはその一連の動きが、もどかしくて仕方がなかった。
「先生。服、脱ごうか?」
今日は思い切って言ってみた。
“先生”が慌てた素振りで視線を上げる。
「いや……いいよ。ごめん」
取り乱した“先生”の声に、菜々美は笑った。
「ごめんって、変よ。だって私がいつも勝手に遊びに来て、勝手に先生のベッドにもぐり込んでるんだもん。でも……そうね、先生も悪いかも。いつも玄関の鍵、開けてるから。好きなときに入って来れちゃう」
「菜々美がいつもそう言うから、本当にそんな気がしてくるよ。こっちが寝込みを襲われてるんじゃないかって」
「あたり。油断してると、いつか先生が私に食べられちゃうかもよ」
“先生”は少し笑った後、ゆっくり体を起こし、ベッドから出てトイレに向かった。
決まって菜々美の体に触れた後は、こんな風にトイレに入る。
その意味を、中学になった菜々美はやんわりと理解し始めていた。
6年生のころは、分からなかった。
今日はもうこれ以上菜々美の体に触れることはない。お決まりのパターンだ。
もう少しくっついて、体温を感じていたかった。 頭を抱いていてほしかった。
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