第11話 先生

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公園で油絵を描いていたこの男の絵に魅入られ、男の優しいまなざしに心惹かれ、いつしか“先生”と呼んで自宅に遊びに行くようになった。 君の絵を描いてもいいかい? と言われた時も、恐れなど無い、逆にうれしかった。 自分の体のすべてを見せることで、さらにこの男との繋がりが深くなるような気がした。 自分から服を脱いだ時の“先生”の顔が、菜々美は忘れられなかった。 どうやら“先生”は普通に服を着た姿を描こうと思っていたらしい。 けれど菜々美の気持ちを受け取ったのだろう。“先生”は本当に愛おしいものを見る目で菜々美を見つめ、一筆一筆丁寧にその姿をキャンバスに塗りこめていった。 いやらしい、汚れたものなど少しも感じられない。 その優しい愛撫のような作業は何とも言えず、菜々美の胸を熱くした。 家族からそうやって優しい目で見られることは一度もなかった。 「私の家族はみんな狂ってるの」 菜々美が繰り返すようにそう言うと、“先生”はいつも困ったように笑った。 「自分の家族をそんな風に言うもんじゃない。自分の子供を愛さない親はいない」 そう言って、菜々美の頭を撫でてくれる。 けれど菜々美は心の中で首を横に振った。 “先生”は知らないのだ。 自分の娘にまるで愛情を持たず、家へも帰らず別の女性と暮らす父親。 そして、すべてを知りながら僅かな資産にしがみ付き、悔しさを末の娘を溺愛することで紛らわす母親が、長女にどれほどの心的ダメージを与えているのかを。 要領のいい菜々美の妹は、姉に舌を出し、幸せを独り占めしている気でいるが、自分の乗っている土台がどれほど狂い、腐っているのか気づきもしない。 そんな家族が存在することを、菜々美はどうやって“先生”に説明しようかと、いつも考えあぐねる。 自分がギリギリの所にいるのだと気づいてくれたら“先生”はもっと自分を抱き寄せ、もっといい匂いのする世界に連れて行ってくれるのではないかと思った。
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