第13話 終わらない夜の始まり

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「もし最悪な記憶だったら、あの子も私もきっと地獄だと思うし、『記憶が戻ったよ、僕は直に何もしていない』と優馬が喜んで言ったとしても、それが本当かどうか私には判断できない。たとえそれが真実だとしても、直の死を置いて、自分の無実を喜ぶ優馬の姿を、私は見たくないかも。 もうどうしようもないんです。『記憶がない』と言ってるあの子に、安心しているしかないんです。私は心の狭い人間なのかもしれないけど、本当にもう、どうしようもないんです。 このまま、ずっとこのまま、ただ信じて静かに暮らしていきたいんです」 緩い結合を解かれ、体中の細胞がすべて崩れて、足元に散らばった気がした。 信じてる。愛してる。 優馬が何よりも欲しかったその言葉は紀美子の本心のはずなのに、スカスカの張りぼてと同じで、意味を成さなかった。 もう、どうしようもないのだと思った。 永遠のグレーゾーンに、自分たちは住むしかないのだ。 記憶が戻っても戻らなくても。 直が生き返らない限り、自分は本当の意味で紀美子の愛を受け取ることは出来ないのだ。 優馬は深く呼吸したが、脳はその結論も酸素も、上手く取り入れてくれなかった。 体の震えが止まらない。 「辛いことを話させてしまって申し訳ありませんでした」 静かに言った松宮に、紀美子がクスリと笑った気配がした。 「いえ、構わないんです。だけどすごく驚きました。そんな訊きにくい話を振ってきた先生は初めてでしたから。私こそこんな話を聞かせてごめんなさい。私の独り言だと思って、どうぞ忘れてくださいね」 紀美子の声は明るかった。 誰かに聞いてもらいたかった本心だったのに違いないと、優馬は感じた。 きっとこの5年間、辛くて悲しくて泣きたくてたまらなかっただろうに、こうやって笑って優馬の傍にいてくれたのだ。愛そうとしてくれていたのだ。 優馬も紀美子が大好きだった。本当に大好きだった。 けれど手を伸ばしても、本当の意味で、もう届かない。傍にいても、守るどころか逆に苦しめてしまう。 推測だったそれらの事が、今あらためて確信に変わったのだ。
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