第19話 秘め事

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「ああ、草太か。このごろ早いな。クラブはないの?」 疲れているような青い顔を上げ、逆に信夫のほうが訊いてきた。 口元にはいつものように柔らかい笑みが浮かんでいる。 「うん。今週は学校の都合で。……ノブさんこそ、早いね」 「ああ、このところちょっと体調が良くなくて。今日も少しだけ早く上がらせてもらった。パートのおばさんに、また嫌味を言われたよ。あ、でも大丈夫。ちゃんと夕食は作るからね。今夜は草太の好きなハンバーグだよ」 通勤途中にあるスーパーマーケットの袋をかざして、信夫は笑う。 思いがけず、その笑顔にほっとしてしまった自分が、少し気恥ずかしかった。 「うん。でも、無理せずに、少し休みなよ」 たぶん、出会った頃ちらりとそんなことを言ったのだろう。ハンバーグが好きだと。 今ではそんなに好きではないのに、月に3度はハンバーグを作る。 あとはカレー、シチュー、オムライス。 「草太が好きだから」と言っては、信夫は嬉しそうにそれらを作り、食卓に並べるのだ。 信夫が家に来てからは、草太が一人で食事することは無くなった。 いつも優しく自分を見つめてくれる信夫を、家族なんだとやっとこの頃、自然と思えるようになった。 深酒もめったにしないし、昔ハマっていたという賭け事も一切せず、きちんと仕事に行き、給料は全部家に入れてくれている。 ちゃんと家族になりたいんだという信夫の気持ちが、痛いほど感じられる。 けれどやはり、父親だと思うことは難しかった。自分の悩みを相談する気にも、なれない。 血のつながりが無いから、というのとは少しちがう。 絶対的な安心感、包容力というものが、信夫からはなんとなく感じられない気がするのだ。 「草太、宿題ちゃんとやってるか? 机の上に未提出のプリントとかあったけど。家庭訪問のお知らせとか、ちゃんと見せなきゃ」 キッチンで早々と夕食の準備を始めながら、信夫が言った。 「俺の部屋に入ったの?」 「だって、草太の部屋ゴミ屋敷だろ。脱ぎっぱなし、食べっぱなし。虫が湧く前に掃除してやろうと思って」 「いいよ別に。自分でやるし」 鬱陶しかったが、腹は立たなかった。 見られてヤバいエロ雑誌や漫画があるわけでもないし、そんなに神経質になるほど、自分に執着もなかった。 ただ、そこまで世話を焼いてくれる信夫が、少しばかり異質には思えた。
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