第1章

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 目を閉じて、漆黒の中の静寂に耳を澄ます。  閉じられた視覚の情報を補うように、他の感覚が研ぎ澄まされていくようだ。  いや、そうイメージしている。まずは体の感覚をはっきりと知覚する。  頭上から目、鼻筋を通って口から顎へ。  首から鎖骨へ広がり両腕に降りる。  指先。背骨を通って下半身へ、膝を抜け爪先に。  自分の身体の輪郭をはっきり意識して、呼吸を深くしていく。  独特なリズムの呼吸と、丹田と呼ばれるへその辺りを意識した呼吸法。  次にら意識した身体の輪郭が外へと広がっていくイメージ。  澄んでいく五感が様々な情報を彩り豊かにつかみ取る。  カチ、カチ。と壁に掛かった時計の規則的に響く音が、水面に小石を投げたように音の波紋として広がるのを感じる。  壁に当たり反響する音の波紋が、新しく鳴る時計の音の波紋と重なる。  エコーロケーションという音のテクニックのようにイメージできた。  耳にかかる長い黒髪を右手で耳にかけ、音を聞きやすくする。  同時に、すーっ、と鼻から夜気に濡れた空気を吸い込む。  ひんやりとした新鮮な空気が肺に届く。  少しばかり木の香りと鉄の匂い、この、空間に残る、人がいた匂いを感じた。  しばらくそうして瞑想し。やがて、ゆっくりと瞳を開いた。  長く感じたが時間としてはほんの数分くらいだろう。  窓から射し込む月明かりに照らされ、薄墨色に染まる教室。  夜に暗さに順応した瞳は、教室の細部までしっかりと把握出来る。  予報では満月。  満月の月明かりは思っている以上に明るい。  それは夜をちゃんと知らなければ気づかないだろう。  色彩を奪われ、墨色と青色の世界に。異音が混じった。  音のするほうへ視線をゆっくりとズラす。  視界に垂れる自分の髪の隙間から廊下側の窓が見えた。  異音は足音だ。無機質な命を持たないモノで構成されたここに、命を持つ音が響く。  構内用の靴が立てる微かにするゴム質の音。  規則正しく歩く音が聞こえる。  音の感覚から音の主をイメージする。  身長は175程度、標準よりやや重い体重。  次第に近づいてくる音にわずかに自分の体温が上がった気がする。  緊張しているのか? 自分に問いかけると身体が正直に話してくれる。  鼓動が一段高鳴る。  僅かに乾いた口に舐める。  あぁ。緊張しているな。と確信した。  そして、ゆっくりと教室の入口に身体を向けた。  窓から入る月明かりによって自分の影が薄墨色の世界に重なるように濃淡をつける。  そして、足音が止まった。 「誰だ?」  男の声だ。  ガラリと音を立て、教室の扉が横にスライドしていき、声の主が月明りに晒されていく。
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