1人が本棚に入れています
本棚に追加
「な…何ですか」
喉から何とか声を絞り出すが、そのまま先生を直視できず足元に目をやる。「何だろうね」と愉しそうな先生の声が頭の上から降ってくる。
下を向いているのをいい事に更に私に顔を近づけて「さっきセンセイが橋本とキスしてるの見たでしょ」と言ってきた。あぁ、あの先輩橋本って言うんだ、とそんなどうでもいいことを考えてしまうが、そんなどころではない。
―バレていたのかと動揺で肩がビクッと揺れてしまった。目敏い緋野先生はそれに気づいたのか、もう少しだけ距離を詰めてくる。すると突然声のトーンを落として悲しげな声色で話しかける。
「俺さ、あの後橋本に振られちゃったの」
それは私に関係ないです…。とも言い出せず、私は下を向いて黙りこくっていた。
ン~と呟いた先生は「あ」と何かを閃いた様な声を出した後、ビックリする様なセリフを放ってきた。
「んで、詩翠さんが俺と遊んでくれると嬉しいなぁ~と思ってるんだけど、どう?」
思わずポカンとしてしまった。
何を言ってるんだこの人は…。声に出そうな呆れた感想と大きな溜息が喉元まで上がってきたのを飲み込む。
私の沈黙を肯定、と受け取ったのか先生が私の顎にそっと指を添えて、微笑みながら私を見つめる。
こんな恋愛小説や漫画でしかしない様な事を流れる様な所作でやるのはどうなのか…と思ったが、顔が迫ってくると私は思考を手放し、ありったけの力で先生を引っぱたいてしまった。
「っ…あ…」
叩いた方の手が震える。
それをを引っ込められなくてそのまま固まってしまう。常識を逸脱した行為をする先生とはいえ、やってはいけない事だった。
「あの、先生ごめ、な」
片言で聞き取りにくいほど小さかっただろう声で必死に先生に届かせようとする。すると先生がおもむろに行き場の無くなった私の手を掴むと、耳元で「ごめんね春子ちゃん、赦して」そう泣きそうなまま呟くと、唇に何かが当てられた。
キスされた、と気づくまでそう時間はかからなかった。
悲鳴を上げたくて口を開けると、何かヌルっとした生あたたかいものが滑り込んできた。
その時だった。
「てめえ!春子に触ってんじゃないッわよォ!!」
とんでもない声量で放たれた怒号と共に、黒いスポーツバッグみたいなものが先生の頭を勢いよく殴り飛ばした。うっと呻くような声がしたと思うと先生はそのまま横にふらついて膝をついた。
最初のコメントを投稿しよう!