第1章

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 白積涼央(しろつめ りょう)は、今自分が見ているものが信じられなかった。 「声も出ないって感じだな……、俺も正直驚いたよ」  神妙な面持ちでそう声をかけたのは、学生時代からの先輩・織部正臣(おりべ まさおみ)だ。ショックを受けて絶句している白積を気遣い、事態を理解できるまで根気強く待っているようだった。  織部が差し出したスマートフォンには、ある画像が映し出されている。鏡のように磨き上げられたシルバーの高級車と、漆黒のスーツを着た逞しい体つきの男。彼は後部座席のドアを開けて、そこから下りてくる者を出迎えている。  織部はたっぷりと時間を置いてから、画像をスライドさせた。後部座席から下りてきたのは、上品な銀鼠色の着物をまとった老人だった。頭髪のほとんどが銀色になっているが、顔に刻み込まれた皺とぎろりとした眼光が、見る者に畏怖を与える独特の威圧感を放っている。  背景には大きな数奇屋門と、著名な書道家が書いたような立派な表札『大岩組』――和装の老人は、中四国指定暴力団大岩組組長・大岩平蔵だ。  黒いスーツを着た男は、自分よりもひとまわりもふたまわりも小さな老人に、恭しく一礼している。織部が早い動きでスライドさせると、数奇屋門の中へ入っていく組長とその斜め後ろに控えた男が、まるでコマ送りの映像のように動いて見えた。周囲にも数人の男たちが控えていたが、その中でも黒いスーツの男だけは別格だと感じ取れた。 「子どもの頃、組長に養子として引き取られたらしい。こいつが次期組長だって噂もある」 「……そう、……ですか」  白積はやっとの思いで、喉の奥からかすれた声を絞り出していた。その声は無様なほど震えている。  大岩平蔵と共にいる画像を見ただけでも声を失うほどショックだったというのに、組長の養子で、その上次期組長だと噂されている。白積はあまりに混乱しすぎて、呼吸をすることも忘れていた。 「適当に理由をつけてクビにしろ。お前が言えないなら俺から言ってやってもいい。ひとりで話せるか?」 「俺から、言います……。俺の、問題ですから」  漆黒のスーツを着た逞しい体つきの男。それは白積が家政夫として雇っている、黒巌静(くろいわ しずか)だった。  約一か月前――
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