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汚れてもいい作業着姿の白積は、教室後方の作業台に並べられた粘土を納品書と照らし合わせてチェックしていた。50センチ四方ほどの粘土は外気に触れないようビニールに包まれ、その上からタオルが掛けられている。白積は綿の手袋をした手で、ビニールの上から粘土を指先で押して固さを調べた。
「涼央先生」
耳の裏側に吐息がかかり、白積は大袈裟なほど肩を揺らして驚いた。即座に後ろを振り返ると、彼の予想した青年が立っていた。白積の高校時代の先輩、織部正臣だ。無様なほど驚いたことを恥ずかしがりながら、囁かれた右耳を押さえて赤面する白積に、織部はしてやったりと満足げに笑っていた。
「先輩、そうやってからかうのやめてくださいよ」
「でも先生は先生だろ、涼央が先生だなんていまだに実感わかないなぁ」
織部はいつも白積を、涼央先生、と呼んでからかった。学生時代を互いに知っているからこそ、後輩が教師をしていることを茶化したくなるのだろう。
白積の授業があるとき、織部は時折りここに顔を出した。織部が来ると、女子生徒がやけにそわそわし始める。教師でも学校関係者でもない分近寄りづらいのか、少し離れたところから熱い視線を送っていた。その見慣れたその様子に、白積はため息をついた。
織部本人は女の子たちの視線に気づいていながら見向きもしない。思春期の頃から異性から羨望の眼差しで見られることに慣れてしまっているのだ。
29歳になったばかりの織部正臣は、仕事ができる大人の男の落ち着きと、小さな悪戯を好む少年っぽさが残る男だった。無駄な肉が付くことを嫌い、長身の細身にスリーピースがよく似合っていた。濃紺や黒のスーツを好むため引き締まって見え、シャツの襟元とネクタイの結び目に嫌味にならない程度の遊びを取り入れるほど、男の着こなしを心得ていた。革靴は年数を重ねた革だけが持つ独特の風合いで、上質な靴にしか出せない上質な足音を響かせていた。
いつも仕事で社外に出たときにやってくる織部だが、白積はきれいなスーツや靴が粘土で汚れてしまいそうで気が気ではなかった。白積から何度も忠告したのだが、汚れたら洗えばいい、と織部はいたっておおらかだった。
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