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ついに入学が来た。
この学校は英語と畑に力を込めていた。あと野球も。
一年生の時は大人しかった。腹を壊してアクシデントに見舞われる時もあった。
そして小五からやっていたバトミントンを始めた。今では日本のラケットを持っている。
友達と揉める度に過去にあったことがフラッシュバックされ揉める。
ハーフにも初めて見かけた。
二年生になるとクラス委員かつ副委員長になった。どちらも立候補である。柔道とか新たなことも授業内で習わされた。友達と揉めることもたまにあった。父親と揉めることもあった。フラッシュバックにより怖くなって外を飛び出した。しかも裸足で。足は汚れた。砂利で足が痛み血がにじみ出る。皮が向ける。死のうかな、と飛び降り自殺をしようとしたこともある。でも怖くてできなかった。それが何よりも悔しい。
生徒会長にもなろうとしたが、落選。逆にありがたかったかもしれない。
検定も英検準二級まで、漢検四級まで、数検三級まで取れた。(一部中三のも含まれる)
初の海外研修にニュージーランドに行った。色んなことがあって面白かった。ホームステイも初めてだった。あんな地震が来るとはまだこの時は誰が知れただろうか。
バトミントン部員が少ないためか、試合に出た。負けたりしたが、スマッシュ返しという技と共に勇敢に競い合った。
三年になっても嫌なことがあると変わらない。しかもクラス委員かつ委員長に立候補した。誰もいないからなのかは副委員長の時から分からない。まとめられなくて苛立つこともよくあった。情けないと言われてる自分が一番そう感じていた。一目惚れの女子もその時はいた。だが無理だったようだ。しかもこの時期は英語スピーチに学校初で強豪校と自分だけ競ったこともある。野球に関しては準々決勝ぐらいまで登り詰めたという時期もあった。そして自分はついにバトミントンを引退することになった。受験で同じ学校を選択した。だからこそ新しい部活にチャレンジしようとした。私は頭のいいと言われる東大を目指すコースを目指した。しかし定期試験はまぁまぁな気はしたが、この年になった転入生に自分と共にこのコースを願いたいとかって先生に言われた。
コースはそれで決まったのだ。自分も行きたいとは思っていたから良かった。
そして卒業した。後輩達とも無口になった自分をからかわれて揉めたこともしばしばある。いたずらもたまにしてた。だが喜ばしていた。
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