序章

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 兄は母の亡骸を愛しそうにぎゅ、と一度軽く抱きしめてから手を放した。重力に逆らうことなく躯はどさりと重々しく地面に落ちた。  湿った地面に血が広がっていく。先ほどまで一面真っ白な雪景色だったのに、周りでゴウゴウと燃え上がる炎のせいで、ここら一帯の雪はすっかり溶け、雪が積もっていた枯れ木は炎の餌食となり、これじゃまるで、地獄絵図だ。まだ五歳になったばかりの少女には、頭が追い付かない。  どうして、こうなった?なぜ、しんでるの?  少女は腕の中の父の亡骸に目を落とした。そしてゆっくりと母の亡骸を見た。二人とも、もう、笑ってくれない。もう、いない。 「あ、あ……あああ、あ」  ひゅー、ひゅーと喉から変な音が出る。上手く呼吸が出来ない。苦しい、苦しい。助けて。座り込んだ少女は、己とは正反対の黒い髪の父の頭を抱きしめる腕に力を込めた。 「しぃ」  兄が少女を愛称で呼ぶ。その声音は少女が知っているよりも幾分か冷たくて、無機質で。少女はゆっくり力なく顔を上げた。が、諦めたようにその顔はすぐに俯けられ、目は虚ろ気に地面を見つめた。  肩上で切られた銀髪は左側の一房だけ長く伸ばされており、緋色の目を細めて彼は少女を見下ろした。何の表情もなくただその視界に少女を捉えた。そして徐に一歩ずつ少女に歩み寄る。ざ、と少女の目の前まで来た少年。視界に映る少年の革のブーツ。  ああ、わたしもころされるのか。  何で、とか、どうしてとか、そんな疑問さえももう浮かばなかった。もう、どうでもよかった。これはきっと悪い夢。きっと、そう。目が覚めたなら母が「怖い夢でもみたの?」と優しく抱きしめてくれる。そんな母ごと少女を抱きしめ「こうしてりゃもう怖い夢なんか見ねぇよ」と屈託なく笑う父。そして、少女の頭を優しく撫で「大丈夫、僕もいるから」と微笑む兄がいる。きっと、そう。 「しぃ、サヨナラだね」  くしゃり、と兄が少女の白銀の髪を撫で、一言そういった。――――ああ、夢じゃない。この触れ方は、この声音は、まぎれもない彼のものだから。  少女の頭を撫でる掌からちり、と火花が出ると同時に、ぷつりと何かが己の中で弾けた気がした。 「あ”あぁぁア”あああああ!!!!」  がばっと顔を上げ彼を憎悪の表情で睨みつけ、喉が潰れてしまうんじゃないかというくらい叫んだ。びくり、と咄嗟に兄の手が離れた。
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