第1章 一年遅れの到着

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 秋の晴れた昼下がり、露店が多く賑わう街にひとつの大きな悲鳴が挙がった。 「スリだーーーー!!誰か捕まえてくれぇーーっっ」  その瞬間、ざわりと街がざわついた。「スリだって」とか「よくやるよなあ」なんて他人事極まりない一言で済ませ、懐を固く押さえながら一度止めた足を再び動かす者。捕まえるべきかと、正義と恐怖で揺れる者。反応はさまざまだが、本当に捕まえようと立ちはだかる人間はひとりとしていない。  そしてもうひとり、興味すら表さない人間がいた。  踝まである白い外套を羽織りフードを頭からすっぽり被った、背丈からして子供。  ざわざわと周りがざわめく中、その者は心なしかぐったりとしたようにとぼとぼと歩く。その様はまるで親とはぐれた子供のようだ。 「お、お腹……減った」  もうだめ、と力なく呟いた声はまだあどけなさを含んだ、少女のものだった。フードの下の大きな青い瞳をきょろりと動かし、香ばしい匂いを漂わせる露店達を見つめた。  (饅頭、団子、大福……あ、あのあんパンも捨てがたい)  頭の中は食べ物一色。特に甘いものが目に入る度、涎が垂れそうになり慌てて嚥下した。  ぐう、きゅるる。なんとも情けない音が腹から響き、少女は懐に入った小さな巾着を取り出した。  ちゃら、と軽い音が今現在の懐事情を物語っていて、空腹と節約の葛藤が始まる。  しかしもう丸二日もまともに食事を取っていない。糖分を摂取していない。糖分が足りない、ぜんっぜん足りない。募りに募った空腹と苛々が、少女の我慢を越えてしまった。 「……饅頭!!」  本当は全部食べたいけど、そこは堪えて、湯気を挙げる屋台を見つめ朱い巾着をぎゅっと握りしめて呟いた。  そして一歩を踏み出した瞬間、  どんっ 「う、わっ」  何者かが横からからぶつかってきた。勢いよく走って来たのか、絶賛空腹中の小柄な少女の体は踏ん張ることも出来ずに簡単に吹っ飛び、地面に尻餅を着いた。 「いたた……危ないなあ、もう。どこを見てるのさ」  謝りもせずに、人並みを乱暴に押しのけ走り去っていた黒い服の男の後ろ姿に悪態を付きながら、ふと己の手を見た。  その小さな右手に握られていた臙脂色の巾着が、ない。  そこで、ようやくスられたのだと気付いた。  有り金が。食費が。……饅頭が糖分が!  ゆらり、と少女は立ち上がった。  
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